魏書卷六十一 列傳第四十九 孟表
渦陽を死守した将
- 字武逹、済北蛇丘の人。蕭鸞の馬頭太守であったが、太和十八年(494年)郡ごと北魏に帰順、輔国将軍・南兖州刺史・馬頭太守・譙県侯に叙せられ渦陽を鎮守した。
- 蕭鸞の豫州刺史・裴叔業が六十余日にわたり渦陽を包囲し、城中の食糧は尽きて朽ちた皮革や草木の皮葉を糧としたが、表は将士を励まし固守。鎮南将軍・王肅が義陽の囲みを解いて援軍に来ると叔業は撤退した。
- 南から投降を装って内応を企てた辺叔珍を見破り誅殺、人心を安んじた。高祖はその誠績を賞し汶陽県開国伯に封じ、濟州刺史・平西将軍等を歴任。延昌四年(515年)卒去、享年八十一。贈安東将軍・兖州刺史、諡は恭。子・崇は昌黎・済北二郡太守を歴任。
史論
薛安都は一介の武人に過ぎず、去就の軽さはあったが、実際には東南の危機を打開して寵秩を保つに至った。真度は一謀によって明主に賞され、衆敬は土地を挙げて忠誠を捧げ栄達した。当時の人々の中で沈文秀は節を曲げず死節の気を示し、その身は礼遇を受け、子は刑戮を免れた。忠義とは、まさにこのようであるべきだろう。張讜は機を見て帰順し、流離の民を篤く扶助した点で仁智を備えていた。田益宗は蛮夷の荒々しい首長でありながら翻然と誠を尽くし、金印紫綬を得たのは見事というほかない。孟表が名声と地位を得たのも、ゆえなきことではない。