魏書卷三十八 列傳第二十六 袁式
袁式
袁式、字は季祖、陳郡陽夏の人、漢の司徒袁滂の後裔。父の袁淵は司馬昌明(東晋孝武帝)の侍中。式は南朝で武陵王遵の諮議参軍を歴任し、司馬文思らと共に姚興を経て泰常2年(417年)魏に帰国、上客として陽夏子に叙爵された。司徒崔浩とは一面で国士の交わりを結び、当時の朝儀典章はすべて浩の手になったが、浩は式の古事への博識を頼り草創のたびに諮問した。式は温厚な長者として、流寓の身であっても清貧を守り士節を失わず、時人に「袁諮議」と敬称された。延和3年(434年)衛大将軍楽安王範の雍州刺史赴任に際し中書侍郎高允と共に従事郎中に指名されたが辞退して免れた。式は書伝に博く通じ、詁訓・『倉頡篇』『爾雅』にも通じ、字釈の著作に取り組んだが未完のまま天安2年(467年)に没し、豫州刺史・諡肅侯を追贈された。子の袁済が爵を襲ぎ魏郡太守として清廉な治績を挙げ、寧遠将軍を加えられ、子孫は潁川の陽夏に居住した。
史論
史臣曰く、刁雍は才識恢遠にして功業を著し礼遇厚く、世々爵位を保ったのは家業を継承する徳によるものである。王慧龍は難を逃れて自ら帰順し、幾多の険難を経て民を撫し衆を督して敵に恐れられた。世珍(王瓊)には確かに立派な子(遵業)があり家声を高く伝えた。韓延之が劉裕に返書したことには国体への忠が表れており、袁式が礼儀を賛けたことは崔浩にも長者と称された。いずれも当代に信義の人として称えられたのは、まことに美事というべきである。