西域焉耆胡の帰順
- 車伊洛は焉耆の胡人である。世々東境の部落帥として恒に職貢を修めていた。世祖はその誠款を録し、延和中に伊洛を平西将軍に授け前部王に封じ、絹百匹・綿百斤・繍衣一具・金帯・鞾帽を賜った。伊洛は大いに悦び帰闕を図ったが、沮渠無諱に道を断たれ、伊洛は無諱と連戦してこれを破った。時に無諱は卒し弟の天周が無諱の子・乾寿の兵を奪って部曲を領しようとした。伊洛は前後して使者を遣わし招喩し、乾寿らは戸五百余家を率いて来奔したため伊洛はこれを京師に送った。また李宝の弟・欽ら五十余人を招喩し敦煌に送った。
- 伊洛はまた部衆二千余人を率いて高昌を伐ち焉耆東関七城を討ち破り、男女二百人・駝千頭・馬千匹を虜獲し、金百斤をもって奉献した。先に伊洛が焉耆を征する際、その子・歇に城を守らせていたが、安周は虚に乗じて蠕蠕を引き三道から歇を囲み、使者を遣わして歇に「お前の父はすでに大魏に投じた、速やかに帰順すれば爵号を賜ろう」と告げさせた。歇は固守して連戦したが久しくして外に救援なく、安周に陥落させられ伊洛のもとへ逃げた。伊洛は遺散した者を収集し千余家を率いて焉耆鎮に帰った。
- 世祖はこれを嘉し、正平元年(451年)詔に「歇は年なお幼くして城邑を固守した、忠節は顕著である、朕は甚だこれを嘉する、歇を遣わして闕に詣でさせるように」とあった。伊洛は歇に弟の波利ら十余人を率いて都に赴かせた。正平二年、伊洛は京師に朝じ、妻妾・奴婢・田宅・牛羊を賜り上将軍を拝し王はそのままとされた。興安二年(453年)に卒し鎮西大将軍・秦州刺史を贈られ康王と諡され、綿絹雑綵五百匹・衣二十七襲を賜り葬礼は盧魯元の故事に依った。
- 歇は爵を襲ぎ皇興末に使持節・平西将軍・豫州刺史を拝し延興三年(473年)に卒した。子の伯主は爵を襲いだ。波利は天安二年(467年)立節将軍・楽官侯を拝し皇興三年(469年)に卒し、兄の子・洛都が爵を襲いだ。