魏書卷六 帝紀第六 顯祖紀

顯祖獻文皇帝(諱𢎞、454–476年)。高宗文成皇帝の長子。和平六年(465年)、十二歳で即位した。乙渾の専権を平定したのち親政し、劉宋から徐州・青斉を奪って南朝との攻防に勝利した。皇興五年(471年)、十八歳で皇太子(孝文帝)に禅譲して太上皇帝となったが、承明元年(476年)二十三歳で崩じた。文明太后の政変に関わる不遇の死とされる。

年表(10件)

出自と生い立ち

  • 顯祖獻文皇帝、諱は𢎞。髙宗文成皇帝の長子で、母は李貴人。
  • 興光元年(454年)秋七月、隂山の北で誕生。太安二年(456年)二月、皇太子に立てられた。聡叡で機知に富み、幼くして民を済う神武の資質があり、仁孝は純至で師友を礼敬した。

即位(和平六年/465年)

  • 夏五月甲辰、皇帝に即位。大赦天下。皇后を皇太后に尊んだ。
  • 車騎大將軍乙渾が詔を偽って尚書楊保年・平陽公賈愛仁・南陽公張天度を宮中で殺害。戊申、侍中司徒平原王陸麗が湯泉から入朝したところをまた渾に殺された。
  • 己酉、侍中車騎大將軍乙渾を太尉・録尚書事、東安王劉尼を司徒・尚書左僕射、和其奴を司空とした。壬子、淮南王他を鎮西大將軍・儀同三司として涼州に鎮させた。
  • 六月、繁陽侯李嶷を丹陽王、征東大將軍馮熙を昌黎王に封じた。乙丑、賦斂を軽くし民を恵むべしとの詔(十分の一税の理念を説く)。
  • 秋七月癸巳、太尉乙渾が丞相となり諸王の上に位し、事の大小すべて渾が決した。九月庚子、京師を曲赦。丙午、刺史・守宰の選任の適正化を命じる詔。
  • この月、劉子業(宋前廃帝)の征北大將軍義陽王劉昶が彭城から来降。冬十月、陽平王新成・京兆王子推・濟隂王小新成・汝隂王天賜・任城王雲を召し入朝させた。この年、劉子業の叔父彧が子業を殺して僭立(宋明帝)。

天安元年(466年)

  • 春正月己丑朔、大赦改元。二月庚申、丞相太原王乙渾が謀反し誅殺。乙亥、侍中元孔雀を濮陽王、陸定國を東郡王とした。
  • 三月庚子、隴西王源賀を太尉とした。辛丑、髙宗文成皇帝の神主を太廟に祔した。辛亥、帝は道壇で符籙を受け、京師を曲赦。髙麗・波斯・于闐・阿襲ら諸国が朝献。
  • 秋七月、詐って爵位を得た者の罪を特に許すが爵職は削るとし、祖父が爵号を偽り財を以て正名を得た者は継承を認めない、などとする詔。
  • 九月、劉彧の司州刺史常珍竒が懸瓠を挙げて内属。己酉、初めて郷学を立て郡ごとに博士二人・助教二人・学生六十人を置いた。劉彧の徐州刺史薛安都が彭城を挙げて内属。彧の将張永・沈攸之が安都を攻撃、北部尚書尉元を鎮南大將軍・都督諸軍事、鎮東將軍城陽公孔伯恭を副として東道から彭城救援に、殿中尚書鎮西大將軍西河公元石を都督荆豫南雍州諸軍事、給事中京兆侯張窮竒を副として西道から懸瓠救援に向かわせた。
  • 冬十月、曹利彤・曷国が朝献。十一月壬子、劉彧の兗州刺史畢衆敬が使者を送り内属。十二月己未、尉元軍が秺に至り、彧将周凱・張永・沈攸之は次々に敗走。皇弟安平が薨去。この年、州鎮十一で旱害・飢饉に開倉賑恤。

皇興元年(467年)

  • 春正月癸巳、尉元が呂梁東で張永・沈攸之を大破し数万級を斬首、凍死者も甚だ多く、彧の秦州刺史垣恭祖・羽林監沈承伯を捕虜とし、攸之は単騎で逃れた。獲得した軍資器械は数え切れず。劉彧が朝貢。
  • 庚子、東平王道符が長安で謀反し副将駙馬都尉万古真・鉅鹿公李恢・雍州刺史魚𤣥明を殺害。丙午、司空平昌公和其奴・東陽公元丕らに討伐させた。丁未、道符の司馬叚太陽が道符を斬り首を京師に伝送、道符の兄弟はみな誅殺。
  • 閏月、頓丘王李峻を太宰とした。劉彧の青州刺史沈文秀・冀州刺史崔道固が州を挙げて内属を請うたため、平東將軍長孫陵・平南將軍廣陵公侯窮竒を派遣した。
  • 二月、征南大將軍慕容白曜に騎五万を率いさせ碻磝で東道の後援とした。濟隂王小新成が薨去。髙麗・庫莫奚・具伏弗・郁羽陵・日連匹黎爾・于闐ら諸国が朝貢。劉彧の東平太守申纂が無鹽に戍り王使を遮ったため、慕容白曜に討伐させた。
  • 三月甲寅、これを陥落。沈文秀・崔道固がまた劉彧に反り帰属したため白曜が回師して討ち、肥城・垣苗・糜溝の三戍を抜いた。夏四月、白曜が升城を攻め、戍主房崇吉は逃走。
  • 秋八月、白曜が歴城を攻める。丁酉、武州山石窟寺に行幸。戊申、皇子宏が誕生、大赦改元。九月壬子、髙麗・于闐・普嵐・粟特国が朝献。丁巳、馮翊公李白を梁郡王に進爵。この月、六鎮の貧民に布各三匹を賜る詔。冬十月癸卯、那男池で狩り。濮陽王孔雀が怠慢の罪で公に降爵。

皇興二年(468年)

  • 春二月癸未、西山で狩り虎豹を親射。崔道固と劉彧の梁鄒戍主・平原太守劉休賔が城を挙げて降伏。この月、徐州の群盗司馬休符が晋王を自称、將軍尉元が討平。
  • 三月、白曜が東陽を包囲。戊午、劉彧が朝貢。夏四月辛丑、南郡公李恵を征南大將軍・儀同三司・都督闗右諸軍事・雍州刺史とし王に進爵。髙麗・庫莫奚・契丹・具伏弗・郁羽陵・日連匹黎爾・叱六手・悉萬丹・阿大何・羽眞侯・于闐・波斯国が朝献。
  • 五月乙卯、崞山で狩り、繁畤へ。辛酉還宮。六月庚辰、河南開拓地の慶事として京師の殊死以下を曲赦。昌黎王馮熙を太傅とした。秋九月辛亥、皇叔楨を南安王、長夀を城陽王、太洛を章武王、休を安定王に封じた。冬十月辛丑、冷泉で狩り。十一月、二十七州鎮の水旱害に開倉賑恤。十二月甲午、張永に迷惑された残兵の遺骸を郡県に収め埋葬させる詔。この月、悉萬丹ら十余国が朝貢。

皇興三年(469年)

  • 春正月乙丑、東陽が陥落し虜将沈文秀を捕らえた。戊辰、司空平昌公和其奴が薨去。二月、蠕蠕・髙麗・庫莫奚・契丹国が朝献。
  • 己卯、上黨公慕容白曜を都督青齊東徐三州諸軍事・征南大將軍・開府儀同三司・青州刺史とし濟南王に進爵。夏四月壬辰、劉彧が朝貢。丙申、皇子の名を宏と定め、大赦天下。丁酉、崞山で狩り。
  • 五月、青州の民を京師に徙した。六月辛未、皇子宏を皇太子に立てた。秋七月、蠕蠕国が朝貢。冬十月、侍中太宰頓丘王李峻が薨去。十一月、吐谷渾の別帥白楊提度汗が戸を率いて内附。襄城公韓頽が王に進爵。

皇興四年(470年)

  • 春正月、州鎮十一の飢饉に開倉賑恤。二月、東郡王陸定國を司空とした。髙麗・庫莫奚・契丹国が朝献。吐谷渾拾寅が貢職を怠ったため、使持節征西大將軍上黨王長孫觀に討伐させた。廣陽王石侯が薨去。
  • 三月丙戌、病苦の民を救うため良医を集め薬を諸州に頒布する詔。夏四月辛丑、大赦天下。戊申、長孫觀軍が曼頭山で拾寅を大破、拾寅は数百騎で逃走、その従弟豆勿来や渠帥匹婁拔累らは投降。
  • 五月、皇弟長樂を建昌王に封じた。六月、劉彧が朝貢。秋八月、群盗が彭城に入り鎮將元解愁の長史を殺害、勒兵してこれを滅ぼした。蠕蠕が塞を犯し、九月丙寅、車駕が北伐に赴き諸將と女水で会し大破(詳細は蠕蠕伝)。司徒東安王劉尼は事に坐して免官。壬申、車駕が北伐から帰還し宗廟に策勲を告げた。冬十月、濟南王慕容白曜・髙平公李敷を誅殺。十一月、山澤の禁を弛める詔。十二月甲辰、鹿野苑石窟寺に行幸。陽平王新成が薨去。

皇興五年(471年)

  • 春三月乙亥、天安以来の軍務で罪に問われた逃亡兵を今後は自首すれば許すが、六月末までに出頭しない者は律に従うとの詔。員外散騎常侍邢祐を劉彧のもとへ派遣。
  • 夏四月、西部勑勒が叛き、汝隂王天賜・給事中羅雲に討伐させたが、雲は勑勒に襲われ死者は十五、六割に及んだ。北平王長孫敦が薨去。
  • 六月丁未、河西に行幸。秋七月丙寅、隂山へ。八月丁亥還宮。帝はもとより世務を薄んじる心を持ち、叔父の京兆王子推に禅位しようとしたが(詳細は任城王雲伝)羣臣が固く諫めて止めた。
  • 丙午、太子への冊命の詔(堯舜の禅譲になぞらえ、太子に帝位を継がせる旨)。丁未、政務を子(太子)に委ね自らは頤養に専念するとの詔。羣公は「太上皇帝」の尊号を奏上し帝はこれに従った。
  • 己酉、太上皇帝は崇光宮に移り質素な暮らしをしながら、国の大事は引き続き聞くこととした。承明元年(476年)、二十三歳で永安殿にて崩御。諡を獻文皇帝、廟号を顯祖とし、雲中の金陵に葬った。

史論

  • 史臣曰く、聡叡にして早熟、兼ねて果断の資質を備えるとは顯祖のことであろう。よく漠野を清め南服を大いに啓いたが、早くから世を厭う心を抱き、ついに宮闈の変(文明太后による政変)を招いた。天の意であろうか。