元史卷一百九十六 列傳第八十三 徳哷默色

徳哷默色(字子初)

  • 徳哷默色は字を子初、回回人。性は剛介で母に事えて至孝であった。40歳になっても仕えず、ある人がその理由を尋ねると「私は母を舎てて去るに忍びない」と答えた。宿衛の年労により行宣政院崇教を授かり、3転して漳州路達嚕噶齊となった。3年居て民は大いにこれに安んじた。時に陳友定が全閩を拠り8郡の政はみなその私人を用いて統制し、朝廷の命官はこれに関与できなかった。大明の兵がすでに福州・興化・泉州を取り、みな欵を納めたので、ある者がこれを徳哷默色に告げると、天を仰いで嘆じて「私は不才ながら位は三品、国恩は厚い、どうして報いようか、国恩に報いる者は死あるのみだ」と言った。まもなく吏が走って招諭使者が至り城を出て迎えるよう請うと告げたが、徳哷默色は従容として「お前は先に行け、私もすぐに出発する」と言い、庁事に詣で公服を整え北面して再拝し終えると斧をとってその印文を斫り、さらに手版に大書して「大元臣子」と記し、すぐに位に入って端座し佩刀を抜いて喉を刺して死んだ。死んでもなお手に刀を執り膝を押さえて座り、儼然として生けるがごとくであった。時に郡民は庭に相い集まって哭き、その屍を斂めて東門外に葬った。