元史卷一百九十四 列傳第八十一 楊樸

楊樸(字文素)

  • 楊樸は字を文素、河南の人。早くに文学をもって吏に推挙され、滁州全椒県尹に至った。滁は廬江と境を接し、廬江が寇に陥ちると滁の人々は震動した。行省参政の額森(エセン)が滁に総兵していたが軍事を理せず、ただ飲酒に耽り夕暮れになっても城門を鑰めなかった。寇が入り火を放っても額森はなお燭を張り杯を揮っていたが、急いで城を越えて逃げ出した。樸は必ず死ぬと覚悟し、自ら妻と娘を殺した後、朝服を着て堂上に座った。盗が降伏させようとすると、樸は妻娘を指して「私はすでに家族を殺した、まさに官を守って死のうとしているだけだ、他に何を言うことがあろうか」と言い、続けて唾を吐いた。賊は樸を縛って木に逆さ吊りにし、肉を尽くまで割いたが、なお大いに罵り続けた。