元史卷一百九十三 列傳第八十 任志
任志
- 任志は潞州の人。戊寅年(1218年)太師国王穆呼哩が地を略して潞州に至った際、志は真っ先に迎え降り、国王は虎符を授け元帥とし山寨を収拾させ、しばしば金兵と戦って功があった。金はかつてその長子の如山を捕らえこれで招き「降れば汝の子は生きられる、降らなければ死ぬ」と言ったが、志は「私は大朝の帥である、どうして一子を惜しもうか」と言い自ら子を射て殺した。
- 穆呼哩がかつて諸将を召して議事をした際、志もまた出征に加わったが、道すがら武安を経ると、その県はすでに金に反しており志はそこで死んだ。国王はこれを憐れみ子の存に跡を継がせた。庚寅年(1230年)金将武仙が潞州を攻め、存は戦死した。辛卯年(1231年)正月、潞州元帥任存の妻子・家属に有司から廩給を与え邸宅を賜って住まわせよとの勅が下った。11月、存父子は死事を理由に子の立がまだ幼いため、先にその甥の成を潞州長官に任じ立が成長するのを待って授けることとした。成が没すると立に潞州長官・金符帯びが授けられ、後に沢州尹を歴任し陳州に遷って没した。