周自強(字剛善)
- 周自強は字を剛善、臨江路新喩州の人。学を好み文に長け吏事に練れ、文法をもって推薦され吏となった。泰定年間(1324-1328年)広西の洞猺が反したとき自強は猺酋のもとへ行き禍福を説いてその要害を突いたところ、猺酋はすぐに罷兵し方物を貢して欵を納め命を請うた。この事が朝廷に聞こえ特旨で広西両江道宣慰司都事に超授された。饒州路経歴に転じ、婺州路義烏県尹に遷る。周は民情を知り性度は寛厚で刻深を為さず、争訟を訴える民があれば一見して曲直を知ったが、加刑する前には必ず経典の語を引いて反復して開き諭し、これを誦読・講解させた。悔悟して首実すればその罪を許し、迷い惑って怙悪不悛ならばのちに法をもって処断し容赦しなかった。民は畏れかつ愛し訴訟は頓に減った。
- 民間の田税の籍には失実が多く差役が不平等であったが、自強は令を出して畝を実地に検して調べさせ、民は欺くことができず文簿は明瞭に整えられ、賦役は均平になり貧富ともに安んじた。訴訟・断獄には情理を尽くし、狡猾な吏が片言をもって欺こうとしてもできず、政治は大いに行われ声誉は大いに高まった。部使者はしばしば廉能を朝廷に挙げ、撫州路金渓県尹に選ばれ奉議大夫に階し政績はますます著しく、亜中大夫・江州路総管をもって致仕した。