元史卷一百九十二 列傳第七十九 観音努

観音努(字志能)

  • 観音努は字を志能、唐古の人。新州に居住し泰定4年(1327年)進士第に登り、戸部主事より再転して帰徳府知事となった。廉明剛断で摘発は神の如く、数十年前の冤罪でも千里を厭わず訴えに来る民を悉く裁いた。彰徳の富商任甲が睢陽で驢馬が死んだので令の郗乙にこれを解剖させたが、任は怒って郗を殴り一夜経て死んだ。郗の妻王氏・妾孫氏が官に訴えたが、官吏は任の賄賂を受け郗は傷死ではないとして孫の罪とし獄に入れた。王が冤罪を訴えると、観音努は孫を獄から出し、府胥に「私は文を書き香幣を供え、汝がこの郗の事を城隍神に祈って神を顕させよ」と命じた。睢陽の小吏でこの件に関与していた者が観音努の厳明を畏れ神が顕れるのを恐れ、任から得た賂の鈔を持って自首し「郗は実に傷死であり、任が賂を上下に贈って実を隠していた、私も賂を得ていたので自首する」と言った。任商を罪に処し孫妾を釈放した。
  • 寧陵の豪民楊甲は王乙の田3頃を欲しがっていたが得られず、王は飢饉のため妻子を連れて淮南に食を求めに行った間に病死し、妻が戻ると田は楊に占拠されていた。王の妻が官に訴えると楊は賄賂を使い「王が生前すでに私に売った」という偽の文憑を作った。観音努は王の妻に楊を連れて崔府君神祠へ行かせ質問させた。楊は神の霊験を恐れ、あらかじめ羊酒で巫を買収して神に事情を漏らさぬよう頼んだ。王と楊が祠に至って質問しても何の顕現もなかった。観音努はこれを疑い巫を召し詰問すると、巫は「楊が羊酒で私に頼み、神に『私が実際に王の田を占拠していることを漏らさないでくれ』と祈った」と白状した。観音努はこれにより実情を得て楊の罪を定め田を王氏に返した。王氏は神を責めその祠を撤去した。
  • 亳州で蝗が民の作物を食ったが、観音努が至ると民が蝗の害を訴え出て、蝗を捕らえ天に向かって祝い水で研いで飲んだ。その年蝗は災いをなさなかった。後に都水監官に陞った。