元史卷一百八十三 列傳第七十 李泂
出自と学識
- 李泂は字を溉之といい、滕州の人。異質の資質を持ち、姚燧に文章を賞賛され朝廷に薦められ翰林国史院編修官となったが、親の老いで江南に赴き養った。
- 中書掾を経て集賢院都事、太常博士。丞相拜珠に見出され監修国史長史、秘書監著作郎、太常礼儀院経歴を歴任。泰定初年(1324年)翰林待制、天暦初年(1328年)文宗の奎章閣設置に伴い召され翰林直学士、奎章閣承制学士に抜擢された。
晩年
- 『輔治篇』を著し文宗に嘉納された。『経世大典』の修纂に病を押して尽力した。「これは大制作である、力を尽くさぬわけにはいかぬ」と述べた逸話が伝わる。編纂後、翰林直学士に復したが病により応召できず没した。
- 骨格清峻・眉目秀麗で神仙めいた風貌と評され、文章は縦横奇変、李太白を自ら任じるほどの文才があった。匡廬・王屋・少室の山々に長く遊んだ。済南に「天心水面」の亭を構え虞集が記文を撰した。書は篆隷草真いずれも精妙で、59歳で没した。文集40巻。