出自と仁宗擁立
- 陳顥、字は仲明、盧龍の出で後に清州に徙る。翰林承旨王磐・安蔵に師事し諸国語にも通じ、安蔵の推薦で宿衛となり仁宗の潜邸で説書を務めた。仁宗が懐慶に出居した際に随行し、成宗崩御時の内難平定・武宗擁立の謀にも参与した。仁宗即位後、推戴の功で集賢大学士栄禄大夫となり、政事に深く関与し科挙実施にも尽力した。
晩年の栄誉
- 父の老いにより清州への帰養を願い、長子孝伯を知州とする恩命は辞退し判官とした。中書平章政事への登用も固辞し「朝夕左右で献替する方が忠を尽くせる」と述べた。仁宗崩御後10年間辞禄して家居し、文宗即位後集賢大学士に復帰、国子学の拡充と儒戸の徭役蠲免を上疏した。
- 元統初年、順帝に「累朝の老臣として遠慮なく政事を語れ」と厚遇された。後至元4年(1338年)致政、翌年卒、享年76。至正14年(1354年)光禄大夫河南江北等処行中書省平章政事柱国を贈られ薊国公に追封、諡は文忠。人の善を語り悪を語らぬ人柄で、多くの人材を推挙した。国子祭酒欧陽玄と共に伴読の考試を行い、その公正さを評された。次子の敬伯は至正中に中書参知政事から左丞・右丞を経て平章政事に至った。