元史卷一百七十六 列傳第六十三 趙師魯
直言の御史
- 趙師魯、字は希顔、霸州文安の人。御史台掾・中書省掾を経て、泰定年間監察御史として大礼親祀の実施を建言。元夕の灯山の造営に対し「燕安怠惰は荒淫の基」と諫めて中止させ、帝は御史大夫に忠直を伝えさせた。宰相都爾蘇の密命専断にも「独出の柄臣の意は許されない」と諫めた。
晩年
- 樞密院都事・経歴を経て、致和年間参議樞密院事、天暦年間樞密院判官、兵部侍郎。父の喪の後、四川軍馬の節制を担い威徳を示した。河間路転運塩使として弊害を除き課税を大幅に増やし、孔子廟の修築や雅楽の整備も行った。至元3年(1337年)9月卒、享年53。嘉議大夫礼部尚書を贈られ天水郡侯に追封、諡は文清。