元史卷一百七十六 列傳第六十三 曹伯啟

地方官としての明察

  • 曹伯啓、字は士開、済寧碭山の人。李謙に学び、至元中に蘭溪主簿尉となり、誤認逮捕の盗人三十人を無実と見抜き、後に真犯人を得た。常州路推官として、富民黄甲が佃客を脅して殺人を自白させた事件の真相を暴いた。河南省都事・台州路治中を経て西台御史に抜擢され、関陝で許衡ゆかりの祠学建立を建言した。四川廉訪僉事庫庫楚の苛刻を糾弾した。

特们徳尔政権下での剛直

  • 延祐元年(1314年)内台都事・刑部侍郎。丞相特们徳尔が西僧の訴訟を放置させようとした際、伯啓は「罪が赦免以前にある」と抵抗した。宛平尹の官銭盗用事件で連座刑を止め、八番の帥の擅殺事件も実情を確かめて穏便に処理し辺境の乱を防いだ。大同宣慰使帕哈哩鼎撲の運糧不正では、賄賂を返済に充てさせる策で五百余万緡を取り戻した。

晩年

  • 真定路総管として寛簡な統治を行い、延祐5年(1318年)司農丞として江浙の塩法を改革。南台治書侍御史、英宗朝では山北廉訪使として西山仏寺の造営強行に抗議し諫言者の処罰に反対した。集賢学士御史台侍御史として『大元通制』の刊定に携わり、五刑の連坐の不合理を指摘した。至順3年(1332年)長子震亨の死を悼み、翌年2月卒、享年79。著書に『漢泉漫藁』十巻。