元史卷一百七十四 列傳第六十一 郝天挺

軍功の家系と直言

  • 郝天挺、字は継先。父の華善巴図爾は太宗・憲宗の代に武功を挙げ河東行省五路軍民万戸となった。天挺は英爽剛直で志略があり、元好問に受業した。世祖に容止を認められ宿衛を務め、裕宗に厚遇された。雲南行尚書省参議・参知政事、陝西漢中道廉訪使、吏部尚書、陝西行御史台中丞を歴任。中書右丞として宰相と論争し面斥した。奏事で黄金百両を賜ろうとした際辞退し、帝は「直言を旌するだけだ」と述べた。

仁宗擁立と晩年

  • 成宗崩御後、仁宗が太后の命で大難を定めた際、天挺は武宗擁立に力を尽くした。仁宗の統治下で少保張閭らと大政を議し尚書省の弊を革めて皇慶の治を成した。江西・河南二省右丞を経て御史中丞として「御史の職は鷹揚のごとし」と紀綱の要を説き、七事(惜名爵・抑浮費など)を上疏した。河南行省平章政事として河南王布琳済達に師礼で遇された。皇慶2年(1313年)卒、享年67、諡は文定。子の佑は殿中侍御史として廉直で知られた。