元史卷一百七十四 列傳第六十一 郭貫
地方官と諫言
- 郭貫、字は安道、保定の人。樞密中書掾から南康路経歴、広西道提刑按察司判官を経て、至元27年(1290年)監察御史として淮西宣慰使昂吉爾父子の専権を弾劾。大徳年間、八百媳婦国への深入り遠征を無益と論じた。大徳5年(1301年)江西道で饑民を賑恤、集賢待制・翰林直学士を歴任し、高麗鎮撫にも携わった。
晩年
- 至大2年(1309年)仁宗の五台山行幸に随行し、廉訪使の善政が郭貫の教えによると評された。吏部考功郎・治書侍御史・礼部尚書を歴任。延祐2年(1315年)中書参知政事、翌年左丞加集賢大学士。太子詹事として皇太子冊礼を進言。至治元年(1321年)集賢大学士。至順2年(1331年)卒、享年82。光禄大夫河南行省平章政事柱国を贈られ蔡国公に追封、諡は文憲。篆籀に精通し当代の冊宝碑額の多くを揮毫した。