出自と天文暦学
- 齊履謙、字は伯恒。父の斉義は算術に長じた。至元16年(1279年)太史局が新暦を治める際に星暦生として補せられ、太史王恂に算数を問われて即答し、その才を認められた。都城の刻漏の修理・鼓楼の再建など、暦官として実務に尽力した。
- 大徳3年(1299年)8月朔の日食予測が外れた際、「食わないことも古にはある」と論じ、唐開元以来の類例十件を挙げて説明した。大徳6年(1302年)の日食は的中させた。「没日」の議論でも暦法の理を説いて衆を服させた。
国学と地方官
- 大徳7年(1303年)8月の地震で災異の由を問われ、大臣の専制を退けるべきと論じた。至大2年(1309年)授時郎、皇慶2年(1313年)国子監丞・国子司業として国学の教育に尽力し、陞斎積分等法を定めて学業の評価制度を整え、六年の任期・不通経の者を黜けるなど厳格な運用を行った。
- 至治元年(1321年)太史院使。泰定2年(1325年)江西・福建へ宣撫使として派遣され、貪汚の官吏400余人を黜罷、虚加の田租数万石を蠲免した。福建憲司の重い田租を軽減したことで恨みを買い誣告されたが、事は明らかになり免れた。天暦2年(1329年)9月卒。
著述
- 経学・天文・地理・礼楽・律暦から陰陽五行・医薬・卜筮まで広く通じ、『大学四伝小註』『中庸章句続解』『論語言仁通旨』『書伝詳説』『易繋辞旨略』『易本説』『春秋諸国統紀』『経世書入式』『外篇微旨』『二至晷景考』『経串演撰八法』などを著した。楽律の候気の法を研究し古律管を得たが、他官への異動により事は中断した。至順3年(1332年)5月、翰林学士資善大夫上護軍を贈られ汝南郡公に追封、諡は文懿。