元史卷一百六十六 列傳第五十三 趙宏偉

地方官としての誠実さ

  • 字子英、甘陵の人、潁川に移る。至元13年(1276年)元帥宋都木達に見出され吉州で管忠節・鄒超の軍を破り知州周天驥の降伏を得た。乱を起こした民を伏兵で鎮め、王昌・張雲の反乱を斬首で防ぎ、俘虜の助命を進言。文天祥配下の羅開礼・葉良臣の再興運動も鎮圧、泰和県尹となった。
  • 瓜洲河渡提挙、衡州路総管府治中として屯田で民を養い治安を回復。大徳5年(1301年)僉浙西道粛政廉訪司事として鎮江の旱害での過重徴税を糾し民租9万余石を免除。大風海溢の被害では有司の許可を待たず自ら倉を開いて10万余人を救った。江南行台都事、内台都事を経て仁宗に厚遇され、浙東廉訪副使として学者許謙を師として招くなど教化に努めた。
  • 江南行台治書侍御史、皇慶2年(1313年)致仕、延祐2年(1315年)福建道粛政廉訪使に復帰、泰定3年(1326年)44歳で没した。嘉議大夫礼部尚書上軽車都尉・天水郡侯を追贈、諡は貞献。子思恭も天水郡侯を追封され、思敬は処士として教授に召された。孫璉は別伝がある。