元史卷一百六十五 列傳第五十二 楊賽音布哈

播州安撫使家の忠勤

  • 初名漢英、字熙載。祖先は太原の人で唐末に播州を回復した楊端の子孫が代々職を継いだ。父邦憲は宋の播州安撫使であったが至元13年(1276年)宋滅亡に際し版籍を奉じ内附し、龍虎衛上将軍紹慶珍州南平等処沿邊宣慰使播州安撫使となり43歳で没し、播国公を追封、諡は恵敏。
  • 漢英は5歳で父を失い、22年(1285年)母田氏に伴われ世祖に上都で謁見、賽音布哈の名を賜り父の職を襲った。25年(1288年)再入覲、12歳で応対明敏と称賛された。大徳5年(1301年)宋隆済・折節らの叛乱を討伐、蹉泥での奇襲を退け大勝、暮窩での戦い、墨特川での戦いで大破し、折節・隆済らを斬り西南夷を平定した。8年(1304年)資徳大夫、至大4年(1311年)播州世襲を許され、盧崩蛮の内侵討伐中に40歳で軍中に没した。銀青栄禄大夫平章政事柱国・播国公を追封、諡は忠宣。子嘉貞が嗣いだ。