元史卷一百六十五 列傳第五十二 管如徳

孝と忠を兼ねた将

  • 黄州黄陂県の人。父景模は宋将として蘄州を降し如徳は江州都統制であったが至元12年(1275年)ともに降伏した。かつて捕虜になった際、父の行方を求め7人で脱走し、追手の看守を数十人殺して破械脱走、万里を経て父の元に達した逸話があり、世祖は「父に孝なる者は必ず我に忠なり」と称えた。
  • 帝の前で強弓2張を左右の手で同時に引き絞り、大溝を馬で渡れぬ際は自ら衣を脱いで泳いで渡ったことから「巴図(勇者)」と称された。湖北招討使、丞相阿珠の南攻に前鋒として従い揚州楊子橋・焦山で連戦連勝、宋軍を潰走させ、丞相巴延の臨安攻略では諸郡招撫の任にあたり紹興諸郡を降した。浙西宣慰使として立額薄征・息兵懐遠・立法用人・省役恤民・設官制禄の5条を上言した。
  • 安塔哈の征東で「江南の民に二心はないか」と問われ「豊稔で民は聖恩に浴している」と答え信任を得た。江西行省参知政事として贛汀二州の盗を討平、江西行尚書省左丸として鐘明亮の乱を武力でなく招諭で鎮め「信を失えぬ」として明亮を殺そうとする平章鄂囉齊を諫めた。44歳で軍中に没し、江西行省左丞・平昌郡公を追贈、諡は武襄。