元史卷一百六十五 列傳第五十二 賈文備

張柔配下から都元帥へ

  • 字仲武、祁州蒲陰の人。父輔は金の祁州刺史であったが武仙に命を狙われ太祖に帰順、張柔に隷して蠡州・慶都・安平・束鹿を平定し左副元帥に至った。文備は父の千戸職を襲い、三汊口で宋の雲梯30余での攻撃を退け、憲宗から弓矢銀盂を賜った。
  • 中統2年(1261年)開元府路宣撫使、宣慰使を経て至元2年(1265年)真定路総管兼府尹、以後衛輝路総管、宿州万戸、蔡州の漕運防衛など歴任、亳州で夏貴の奇襲を撃退し金鞍を賜る。丞相巴延の宋討伐で郢州・武磯堡の攻略から鄂漢の奪取に功、潭州攻防では砲傷・矢傷を負いつつ攻略、宋臣李芾が殉節、鐘蜚英らの降伏を受けた。湖南道宣慰使として瓊崖・広東を平定し宋衛王昺を追撃、江東宣慰使として建寧の盗黄華を討ち、荊湖占城行中書省参知政事、湖広行省参知政事を経て致仕後17年で没した。延祐4年(1317年)江西等処行中書省左丞を追贈され諡は荘武。