元史卷一百五十一 列傳第三十八 王善
中山府の内訌鎮定
- 王善、字は子善、真定藁城の人。金末の混乱で郷人に推され県主簿となり、武仙の陰謀による粛清を計った知府李済・府判郭安を機先を制して誅殺、金符を授かり同知中山府事となった。武仙の攻撃を退け、中山以南四十二の州郡を降した功で右副元帥驃騎大将軍となる。
- 武仙の反乱再発を予見して城隍の修備を進言、鄭州攻略では守将馬伯堅の帰順を導き、放家僮五百人を民として解放するなど徳政で知られた。癸夘年没。享年六十一。皇慶元年(1312年)銀青栄禄大夫・司徒・冀国公を追封、諡は武靖。子慶端。
- 慶端は水軍提領として李璮討伐に功、大都築城で守将戦死の城を守り抜き、右親軍副都指揮使等を経て詹事丞となり、裕宗の下で威武営の兵の生活を整備。世祖の親征に六十余歳で従軍し士卒と苦楽を共にし、成宗即位後は金吾衛上将軍・中書左丞・平章政事等を歴任して没した。