元史卷一百五十 列傳第三十七 趙瑨
冀州の帰順と天文暦学
- 趙瑨は雲中蔚州の人。癸酉年太祖南伐の際に飛狐城の降伏を主導、丁丑年穆呼哩の下で百戸となり、蠡州攻防での兄珪との功の譲り合いなど義に厚い人柄で知られた。相州攻略では流矢で鼻を負傷しながらも戦い続け、七日で城を落とした。真定・中山二路達嚕噶齊、順天宣慰使、太原路総管、燕南道・河南道提刑按察使を歴任し、致仕の翌年没。享年八十。儀同三司・太保・上柱国を追贈、定国公を封じられ、諡は襄穆。子秉温。
- 秉温は世祖潜邸で劉秉忠に学び、吐蕃・雲南・大理征討に従軍。至元七年(1270年)朝儀を創設し秘書少監、昭文館大学士知太史院侍儀司事を歴任、授時暦の完成に貢献した。皇慶元年(1312年)金紫光禄大夫・司徒・雲国公を追贈、諡は文昭。