元史卷一百五十 列傳第三十七 舒穆嚕明安

中都攻略と施政

  • 舒穆嚕明安は桓州の人。壬申年金の撫州を破った太祖に降り、太祖に迎えられ蒙古軍を率いて雲中東西両路を平定。休兵を進言する声に対し「兵は神速を貴ぶ、今取らねば難敵となる」と反対して兵を進め、河北諸郡を服属させた。
  • 景薊・檀順諸州攻略で屠城の議を退け、金の右副元帥富察斉錦の降伏を受け入れ、永清では金軍を大破し将を捕らえた。中都攻略では包囲の末に城中の官民が降伏を願い出た際、「城が抵抗を続けたのは守将の責であり住民の罪ではない」と諭し粟で賑わせた。
  • 資糧・珠玉の私有を一切せず全て上進、太傅邵国公・蒙古漢軍兵馬都元帥を兼ねた。丙子年燕城で病没。享年五十三。子二人が後を継いだ。