元史卷一百四十九 列傳第三十六 耶律托輝
遼系将家の四川経略
- 耶律托輝は契丹人で桓州に世居し、太祖に従軍して各地を転戦、太傅・伊克諾延を拝し濮国公を封じられた。子珠格が嗣ぎ劉黒馬・史天沢とともに金討伐に従軍して西河州で没。孫の保通が疾病で職を辞し、邁珠(珠格の弟)が嗣いで成都攻略を進言、憲宗に許されて成都を築いたが嘉定攻略中に没。子和爾台が総軍して成都府を立てるも軍中で没、兄百嘉努が嗣いだ。
- 圖們岱爾(百嘉努の弟)は成都管軍万戸として嘉定・九頂山・瀘州・重慶の攻略に功を挙げ、四川等処行中書省左丞・右丞を歴任して没。孟古岱(保通の子)は万戸として雲南・思播・建都の蛮夷討伐、緬国への進軍、交趾遠征などに功があり、烏撒羅羅斯の乱平定などを経て雲南諸路行中書省左丞行大理金齒等処宣慰使都元帥として軍中で没。至大四年(1311年)龍虎衛上将軍・平章政事を贈られ濮国公を追封、諡は威愍。