元史卷百四十三 列傳第三十 蘇爾約蘇哈雅
酸斎と号した文人
- 蘇爾約蘇哈雅、祖阿爾哈雅に伝あり。父楚国忠恵公衮格根の子で、貫を氏とした(衮格根は原文で貫只哥に作る)。自ら酸斎と号した。生誕には神異の伝承があり、幼くして武勇に優れ健児を扱う馬術・弓術に長けた。
- 姚燧に古文を学び、両淮万戸府達嚕噶齊を父の官から継いだが、弟呼図克哈雅に爵位を譲った。仁宗はこれを聞き「将相の家にこのような賢者がいるのか」と称賛した。英宗潜邸の説書秀才、翰林侍読学士などを歴任し、上疏で辺戍の廃止・太子教育・諫官設置・姓氏の顕彰・服色の制定・賢才登用の六事を建言した。
- 官を辞して江南に隠棲し姓名を隠して薬を売り、梁山濼で漁父と詩を交わした逸話(蘆花被の詩)が世に喧伝された。泰定元年(1324年)五月八日、三十九歳で没し、集賢学士・中奉大夫・護軍・京兆郡公を追贈され諡は文靖。