呼圖克
- 呼圖克は蒙古ウルクタイ氏。父の巴罕は太祖に仕え宿衛を務めた。太祖の時、鎮西行省として蒙古漢軍を領し河中・潼関・河南攻めに従い、拜済蘇・扎呼岱・アルスランと秦・鞏・仁和等の諸堡を攻め、京兆を守った。乙未年(1235年)、左手万戸を授けられ都元帥塔爾海甘布の出征に従い軍中で卒した。憲宗は呼圖克にその軍を統べさせ、都元帥達勒達の巴州攻めに従い、また都元帥耨埒に従い馬湖江を渡り宋の叙州軍を老君山下で破った。中統元年(1260年)、宋が舟師二千で成都新津を犯すと呼圖克はこれを迎撃し首百五十級を斬った。至元元年(1264年)、蒙古漢軍総管を授かり、二年(1265年)、都元帥伯嘉努に従い宋将夏貴を懐安で破った。五年(1268年)卒。子の扎呼岱はその時宿衛にあり、弟の呼爾郭達哩が職を襲い、呼爾郭達哩が卒すると扎呼岱が嗣いだ。千戸として行枢密院の重慶包囲に従い、守将張珏が精兵数千で挑戦してきたのを扎呼岱は力戦して大破した。軍を返して瀘州を囲んだが下せず、行枢密院より入朝して計事するよう命じられ、宣武将軍・管軍総管を授かって再び瀘州攻めに戻り、瀘の兵と交戦して戦死した。子の阿都齊が嗣いだ。