元史卷一百二十三 列傳第十 沙扎該

足を切られながらの忠節

  • 沙扎該は薩木丹氏、弱冠で太祖の帳下に宿衛し西域諸国征討に功があった。癸巳歳、太宗の命で金虎符を佩び益都行省軍民達嚕噶齊となり太師達春に従い徐州で金帥国用安を擒えた。丁酉歳、益都が皇太子の分土となると京兆行省都達嚕噶齊に遷り、懐に至って疫病で士卒が困憊した際は本部兵を懐孟に鎮させ、まもなく察罕に代わり河南を総軍、懐孟を再守した。己亥歳、同僚王榮が異志を密かに抱き沙扎該を殺そうと伏甲で捕らえ両足の踵を断って帛で口を縛り仏祠に置いたが、妻の實喇巴爾が衆を率いて王榮の家を攻め夫を救出、沙扎該は傷を包みながら二子を連れて旁郡に兵を請い王榮を殺した。朝廷は王榮の妻子と貲産を沙扎該の家に賜り、懐の民万余口が郭外で戮されようとしたのを「悪をなしたのは王榮一人、民に何の罪があるのか、尽く誅せば空城を守って何になる、朝廷が使者を罪に問うなら私が身をもって当たる」と力争して救い、使者もその言を帝に奏して民は死を免れた。沙扎該は王榮の妻子には民の証書を与えて放ち、その邸宅は官廨とし秋毫も取らなかった。太宗に入覲すると先朝の旧臣として和琳に第一区を賜り、まもなく病で卒し山陵の側に葬られた。皇慶初年(1312年頃)推忠宣力功臣・金紫光禄大夫上柱國温國公・諡忠襄が追贈され、詞臣劉敬中に文を製させ懐に碑を樹てさせた。子の昻阿喇が嗣いだ。