太祖の弟としての功績と子孫
- 宗王伯勒格台は列祖の第五子、太祖の末弟。性は純厚明敏で智略に富み、質朴で勇力抜群であった。幼くして太祖の諸部落平定に従い、従馬の管理を掌った(元の国法では、戦に敗れれば従馬を牽く役目を負う)。子孫が最も多く、太祖の行在所近くに居所を構えた。
- 宴席で刀傷を受けた際、犯人の処罰を求める太祖に「大事を天下にこれから成す時に、臣のことで釁隙を生じるべきでない」と諫め、太祖はますます賢とした。創業の征戦には常に軍中にあり摧鋒陥陣を厭わず、太祖は「伯勒格台の力とハザルの弓があってこそ天下を取れた」と称えた。国相・扎爾古齊長官に任じられ印を授かり、蒙古百姓三千戸、広寧路・恩州の二城の戸一万一千六百三、江南平定後には信州路・鈆山州の二城の戸一万八千を分地として賜わった。
- 薨後、子は罕都呼・伊蘇布哈・昆布哈。罕都呼は憲宗の征伐に従い戦功多く、釣魚山攻略の帰途に河南の流亡百戸を招いて籍に入れた。その子呼喇濟は病で軍を離れ世祖により恩州で藩人を統べ、至大三年(1310年)呼喇濟が薨じ子逹春が嗣いだ。逹春は温厚謙恭で学を好み経史に通じ民を撫恤したという。
- 伊蘇布哈の子卓多は中統三年(1262年)推戴の功で広寧王に封じられ、至元十三年(1276年)印を賜わった。昆布哈は河南で兵を領し屡々大功を立て、子は穆爾格特・昂吉爾岱。