元史卷八十五 百官志第三十五 百官一

元代官制の総説

  • 帝王が南面して天下を治めるにあたり、国を建て土を開き官を設け職を分かつのは古来の制度である。漢唐以来は沿革が異なるが、いずれも周秦の制度を基に損益するもので大きな違いはなく、賢才を得て天子を佐け万民を治めることを要とした。
  • 元の太祖は朔土に興り、部落は野処し城郭の制はなく、国俗は淳厚で庶事の繁雑もなく、万戸で軍旅を統べ断事官で政刑を治め、任用される者は一二の親貴重臣に過ぎなかった。太宗が中原を取るに及び十路宣課司を立て儒術を用い、金人で帰服した者はその故官により行省・元帥の号を授けた。草創の初めゆえ経久の規模を定める暇はなかった。
  • 世祖の即位後、老成の人材を登用し朝儀を新たに立て都邑を造り、劉秉忠・許衡に命じ古今の宜しきを酌み内外の官を定めた。政務を総べるは中書省、兵柄を秉るは枢密院、黜陟を司るは御史台といい、体統が立った後、内には寺・監・衛・府があり、外には行省・行台・宣慰司・廉訪司があり、牧民の官は路・府・州・県といい、官には常職があり位には常員があった。その長は蒙古人が務め、漢人・南人が副えとなり、一代の制がここに備わり百年の間、子孫の依るところとなった。
  • 大徳以後、太平が久しく続き虚飾の風が勝り質実の意が薄れ、僥倖の道が多く方正の道が塞がれ、官は上で冗員となり吏は下で放縦となり、言事者はしばしば疏して論列したが朝廷はついに正すことができなかった。おおむね元の建官は繁簡が時により、得失が人によるため、簡牘に載るところに拠って論次し、事に因って置かれ事が終われば罷される類、および異教・雑流・世襲の属で名類が実に繁多なものは大略を挙げて「百官志」を作る。

三公

  • 太師・太傅・太保:各一員、正一品、銀印。陰陽を燮し邦国を経めるを掌る。元はその名号を襲い特に尊崇を示した。太祖十二年、国王を以て太師一員を置く。太宗即位後に三公を建てたが、その拝罷の年月はいずれも考えがたい。世祖の世はその職が常に欠け、太保一員のみを置くにとどまった。成宗・武宗以後、三公が並び建てられ虚位がなくなった。また大司徒・司徒・太尉の属があり、あるいは置きあるいは置かず、置く場合は開府・不開府があり、東宮も三師三少を置くことがあったが常には置かれなかった。

中書令

  • 一員、銀印。百官を典領し庶務を会決する。太宗は相臣をこれに任じ、世祖は皇太子に兼任させた。至元十年、皇太子が中書令を行うことを立て、大徳十一年、皇太子が中書令を領し、延祐三年、再び皇太子が中書令を行った。属官として監印二人を置く。

右丞相・左丞相

  • 各一員、正一品、銀印。六官を統べ百司を率い令の次に居り、令が欠ければ省事を総べ天子を佐け万機を理める。国初は職名が未だ創られず、太宗が初めて右丞相一員・左丞相一員を置いた。世祖中統元年に丞相一員を置き、二年に右丞相二員・左丞相二員に復し、至元二年に丞相五員に増し、七年に尚書省を立て丞相二員を置き、八年に尚書省を罷め丞相二員を置いた。二十四年に尚書省を再び立てたが中書省丞相二員は旧のままとし、二十八年に尚書省を再び罷め専任一相とした。武宗至大二年に尚書省を復し丞相二員、中書丞相二員とし、四年に尚書省が中書に帰し丞相はやはり二員となり以後変わらなかった。文宗至順元年、右相一員のみを専任とし、もう一員は置くこともあれば置かないこともあった。

平章政事

  • 四員、従一品。機務を掌り丞相を貳け、軍国の重事はすべてこれに由る。世祖中統元年に平章二員を置き、二年に四員とした。至元七年に尚書省を置き尚書平章二員を設け、八年に尚書が中書に併入され平章を三員に復した。二十三年、詔により冗職を清め平章は二員に汰した。二十四年、尚書省を復し中書・尚書両省の平章は各二員とした。二十九年、尚書省を罷め中書平章を五員に増し、そのうち一員を商議省事とした。三十年、さらに平章を六員に増した。成宗元貞元年、商議省事を改めて平章軍国重事とした。武宗至大二年、再び尚書省を立て平章三員、中書五員とし、四年、尚書省を罷め中書に帰し平章はやはり三員となった。文宗至順元年、四員と定め以後変わらなかった。

右丞・左丞

  • 右丞一員・左丞一員、正二品。副宰相として庶務を裁成し左右轄と号す。世祖中統二年に左右丞各一員を置き、三年に四員に増した。至元七年に尚書省を立て中書の右丞・左丞もやはり四員とし、八年に尚書が中書省に併入され左右丞各一員となった。二十三年、冗職を汰し右左丞は旧のままとした。二十四年、尚書省を復し右左丞各一員としたが中書省は欠員とした。二十八年、尚書省を再び罷め、三十年、右丞二員を置きそのうち一員を商議省事とした。成宗元貞元年、右丞で商議省事を兼ねる者はさらに昭文大学士を以て中書省事に与った。武宗至大二年、再び尚書省を立て右左丞二員、中書右左丞五員とし、四年、尚書右左丞を罷め中書右左丞は四員にとどめた。文宗至順元年、右丞一員・左丞一員と定め、以後増減しなくなった。

参知政事

  • 二員、従二品。副宰相として大政に参与し右左丞に亜ぐ地位。世祖中統元年に参政一員を置き、二年に二員に増した。至元七年に尚書省を立て参政三員とし、八年に尚書が中書に併入され参政二員となった。二十三年、冗職を汰したが参政二員は旧のままとした。二十四年、尚書省を復し参政二員、中書参政二員とし、二十八年、尚書省を罷め参政も罷めた。武宗至大二年、再び尚書省を立て参政二員、中書参政二員とし、四年、尚書省が中書に併合され参政三員となった。文宗至順元年、参政を二員と定め以後変わらなかった。

参議中書省事

  • 正四品。左右司の文牘を典り六曹の管轄となり軍国重事にことごとく預決する。中統元年に一員を置き、至元二十二年までに累増して六員となったが、大徳元年に四員にとどめ、以後定額となった。参議府には令史二人を置く。

左司・右司

  • 左司:郎中二員(正五品)・員外郎二員(正六品)・都事二員(正七品)。中統元年に左右司を置き、至元十五年に両司を分置した。左司の掌る吏礼房には南吏・北吏・貼黄・保挙・議礼・時政記・封贈・牌印・好事知除の九科、知除房には資品・常選・台院選・見闕選・伯勒赫選の五科、戸雑房には定俸・衣装・羊馬・置計・田土・太府監・会総の七科、糧房には海運・儹運・辺遠・賑済・事故・軍匠の六科、銀鈔房には鈔法・課程の二科、応辦房には飲膳・草料の二科がある。令史二人、蒙古書写十八人、回回書写一人、漢人書写七人、典吏十五人。
  • 右司:郎中二員(正五品)・員外郎二員(正六品)・都事二員(正七品)。至元十五年に左司と分置。右司の掌る兵房には辺関・展斉・鋪馬・屯田・牧地の五科、刑房には法令・弭盗・功賞・禁治・枉勘・鬬訟の六科、工房には横造軍器・常課段疋・嵗賜・営造・応辦・河道の六科がある。令史二人、蒙古書写三人、回回書写一人、漢人書写一人、典吏五人。

中書省掾属

  • 監印二人(省印の監視、中書令が置かれた時のみ設置)、知印四人(省印の執用)、克埒穆爾齊四人、蒙古筆且齊二十二人(左司十六人・右司六人)、漢人省掾六十人(左司三十九人・右司二十一人)、回回省掾十四人(左司九人・右司五人)、宣使五十人、省医三人、諤徳齊四十一人。
  • 断事官:秩三品。刑政を掌る。国初は相臣がこれに任じ名は重かったが員数は増減が常でなく、その人はいずれも御位下・中宮・東宮・諸王各投下・集賽台等の人が務めた。中統元年、十六位下に三十一員を置き、至元六年、十七位下に三十四員、七年、十八位下に三十五員、八年に印を給し始めて二十七員、二十七年に両省を分立し断事官も省に隨って並置され、二十八年、十八位下に三十六員を置き中書に併入、三十一年に二員を増し、以後定置として御位下及び諸王位下合わせて四十一員とした。首領官として経歴一員・知事一員、吏属として蒙古筆且齊二人・令史十二人・回回令史一人・克埒穆爾齊二人・知印二人・奏差八人・典吏一人を置く。
  • 客省使:秩正五品。使四員・副使二員(正六品)・令史一人。直省舎人・宣使等の選挙差遣を掌る。至元九年に使二員を置き一員は通事を兼ね一員は兼ねなかった。大徳元年に四員に増し、副使は二員とした。直省舎人は至元七年に始めて置かれ、その後三十三員まで増え、奏事・給使差遣の役を掌る。
  • 検校官:四員、正七品。左右司・六部の公事・程期・文牘の稽失を検校する。書吏六人。大徳元年に置く。
  • 照磨:一員、正八品。左右司の銭穀出納・営繕料例・凡数の計・文牘簿籍を磨勘する。中統元年に二員を置き、至元八年に一員に省いた。典吏八人。
  • 管勾:一員、正八品。四方文移の緘縢啓拆・郵逓の程期・曹属の承受を主る。中統元年に二員を置き、至元三年に一員と定めた。典吏八人。
  • 架閣庫管勾:二員、正八品。省府の籍帳案牘を庋蔵し稽考に備える掌故の任。至元三年に始めて二員を置き、その後員数の増置は一定でなかったが至順初に二員と定めた。典吏十人。蒙古架閣庫は兼管勾一員・典吏二人、回回架閣庫は管勾一員・典吏二人。

吏部

  • 尚書三員(正三品)・侍郎二員(正四品)・郎中二員(従五品)・員外郎二員(従六品)。天下の官吏選授の政令、職官銓叙の典、吏員調補の格、封勲爵邑の制、考課殿最の法を掌る。世祖中統元年、吏戸礼を左三部とし尚書二員・侍郎二員・郎中四員・員外郎六員を置いた。至元元年、吏礼を一部とし尚書三員・侍郎二員・郎中四員・員外郎三員とし、三年に左三部に復し、五年に吏礼部として尚書二員・侍郎郎中員外郎各一員に合わせ、七年、六部を列ね吏部尚書一員・侍郎一員・郎中二員・員外郎二員とし、八年、再び吏礼部となり侍郎郎中各一員・員外郎二員とし、十三年、吏部を分置し尚書七員・侍郎三員・郎中二員・員外郎四員に増し、十九年、尚書は二員、侍郎一員、郎中一員、員外郎二員に裁減し、二十一年、尚書三員に増した。二十三年、六部の尚書・侍郎・郎中・員外郎の員額を各二員と定め、二十八年、尚書を三員に増した。主事三員、蒙古筆且齊三人、令史二十五人、回回令史二人、克埒穆爾齊一人、知印二人、奏差六人、蒙古書写二人、銓写五人、典吏十九人。

戸部

  • 尚書三員(正三品)・侍郎二員(正四品)・郎中二員(従五品)・員外郎三員(従六品)。天下の戸口・銭糧・田土の政令、貢賦出納・金幣転通・府蔵委積・物貨貴賎の事を掌る。中統元年、左三部の一つとし、至元元年に戸部として尚書三員・侍郎郎中四員・員外郎三員を置き、三年に左三部に復し、五年に再び戸部を分立し尚書一員・侍郎郎中各一員・員外郎二員とし、七年、六部を列ね尚書二員・侍郎二員・郎中二員・員外郎は旧のままとし、十三年、尚書を一員増し、十九年、郎中員外郎をともに四員に増し、二十三年、六部の尚書侍郎郎中を二員の額と定めたが翌年戸部は繁劇であるため二員を増した。成宗大徳五年、尚書一員・員外郎一員を省き各三員とした。主事八員、蒙古筆且齊七人、令史六十一人、回回令史六人、克埒穆爾齊一人、知印二人、奏差三十二人、蒙古書写一人、典吏二十二人、司計官四人。属官は以下の通り。

戸部の属――京師の庫・課程機関

  • 都提挙万億宝源庫(宝鈔・玉器を掌る。至元二十五年設置。都提挙一員・提挙一員・同提挙一員・副提挙一員・知事一員・提控案牘一員・司吏二十三人・訳史二人・司庫四十六人(うち色目二人を参用))
  • 都提挙万億広源庫(香薬・紙劄を掌る。同上の設置。提控案牘二員・司吏十二人・訳史一人・司庫十三人)
  • 都提挙億万綺源庫(諸色段疋を掌る。同上の設置に加え副提挙一員増、提控案牘は三員のち二員に省く。司吏二十二人・訳史一人・司庫二十六人、色目二人参用)
  • 都提挙万億賦源庫(絲綿布帛諸物を掌る。同上の設置。提控案牘は当初二員のち一員に省く。司吏十七人・訳史一人・司庫十五人、色目二人参用)
  • 四庫照磨兼架閣庫管勾一員(従九品。至元二十八年、四庫の錢帛が繁多になったため設置し印を給した)
  • 提挙富寧庫(至元二十七年設置。提挙一員(従五品)・同提挙一員(従六品)・副提挙一員(従七品)。万億宝源庫の金銀出納を分掌。吏目一人、のち司吏六人・訳史一人・司庫八人に増員)
  • 諸路宝鈔提挙司(達嚕噶齊一員(正四品)・都提挙一員(正四品)・副達嚕噶齊一員(正五品)・提挙一員(正五品)・同提挙一員(従五品)・副提挙二員(従六品)・知事一員(従八品)・照磨一員(従九品)。国初は戸部が交鈔公事を兼領していたが世祖至元年間に交鈔提挙司(正五品)を設置、二十四年に諸路宝鈔都提挙司と改め正四品に昇り副達嚕噶齊・提控案牘各一員を増し、以後提控案牘をさらに一員増した。司吏十二人、蒙古筆且齊一人、回回令史一人、奏差七人)
  • 宝鈔総庫(達嚕噶齊一員・大使一員(従五品)・副使三員(正七品)。至元二十五年に元宝庫を宝鈔庫と改め正六品とし、二十六年に従五品に昇り大使・副使及び司庫を増設。司吏七人・訳史一人・司庫五十人)
  • 印造宝鈔庫(達嚕噶齊一員(正七品)・大使二員(従七品)・副使二員(正八品)。中統四年に従八品で設置、至元二十四年に従七品に昇り達嚕噶齊一員を増した)
  • 焼鈔東西二庫(達嚕噶齊一員(正八品)・大使一員(従八品)・副使一員(従九品)。至元元年に昏鈔庫として従九品で設置、二十四年に東西二庫に分立し従八品とした)
  • 行用六庫(中統元年に中都行用庫(従七品)を初立、提領一員(従七品)・大使一員(従八品)・副使一員(従九品)。至元二十四年に京師に光熙・文明・順承の三庫を城門名により置き、二十六年にさらに健徳・和義・崇仁の三庫を置いた)
  • 大都宣課提挙司(諸色課程及び京城各市を併領。提挙二員(従五品)・同提挙一員(従六品)・副提挙一員(従七品)・提控案牘一員・司吏六人。世祖至元十九年に大都旧城両税務を併せ大都税課提挙司とし、武宗至大元年に宣課提挙司と改称。属に馬市猪羊市(従七品、提領・大使・副使各一員、至元三十年設置)、牛驢市果木市(同上)、魚蟹市(大使一員・副使二員、至大元年設置)、煤木所(提領一員(従八品)・大使一員(従九品)・副使一員、至元二十二年設置)がある)
  • 大都酒課提挙司(酒醋の榷酤を掌る。至元十九年設置。提挙一員(従五品)・同提挙二員(従六品)・副提挙二員(従七品)・提控案牘二員・司吏五人。二十八年に同提挙・副提挙各一員を省いた)
  • 抄紙坊(提領一員(正八品)・大使一員(従八品)・副使二員(従九品)。中統四年設置、至元二十七年に正八品に昇り員数増)
  • 印造塩茶等引局(大使一員・副使一員。至元二十四年、腹裏・行省の塩茶礬鉄等の引を印造するため設置、攢典・庫子各一人を置く)
  • (以上は戸部に属す。万億四庫は国初太府が内帑の出納を掌り、左蔵等庫を設けた後、国計は戸部が管轄し万億等庫を収蔵の府とした。中統元年に庫官六員を置いたが品秩俸給はなく、至元十六年に提挙万億庫(正五品)とし、二十四年に都提挙万億庫(正四品)に改め、二十五年に四庫に分立し、二十七年にさらに富寧庫を別立した)
  • 京畿都漕運使司(正三品。運使三員(正三品)・同知二員(正四品)・副使二員(正五品)・判官二員(正六品)・経歴一員(正七品)・知事一員(従八品)・提控案牘兼照磨二員。漕運を掌る。世祖中統二年に軍儲所を初立、のち漕運所と改め、至元五年に漕運司(五品)、十二年に都漕運司(五品)、十九年に京畿都漕運使司(正三品)と改めた。二十四年に内外の運司を分立し、京畿都漕運司は在京諸倉の出納・新運糧提挙司・站車攢運を管轄。延祐六年に同知・副使・運判各一員増。正官各二員・首領官四員、令史二十一人・訳史二人・回回令史一人・通事一人・知印二人・奏差十六人・典吏二人。属に二十四機関がある――新運糧提挙司(正五品、至元十六年設置、達嚕噶齊・都提挙・同提挙二員・副提挙・吏目各一員、司吏八人、奏差十二人)、京師二十二倉(正七品。万斯北倉・万斯南倉・千斯倉・永平倉・永済倉・惟億倉・既盈倉・屢豊倉・積貯倉の十倉は各監支納一員(正七品)・大使二員(従七品)・副使二員(正八品)、豊穣倉・広済倉・広衍倉・大積倉・既積倉・盈衍倉・相因倉・順済倉の八倉は各監支納一員・大使一員・副使二員、通済倉・慶貯倉・豊潤倉・豊実倉の四倉は各監支納一員・大使一員・副使一員)、通恵河運糧千戸所(正五品、至元三十一年設置、中千戸一員・中副千戸二員)。
  • 都漕運使司(正三品。御河上下から直沽・河西務・李二寺・通州等の漕糧を管轄。至元二十四年に京畿運司から分立し河西務に総司を置いた。運使二員(正三品)・同知二員(正四品)・副使二員(正五品)・運判三員(正六品)・経歴一員(従七品)・知事一員(従八品)・提控案牘二員(一員照磨兼)。司吏三十三人・通事訳史各一人・奏差十六人・典吏一人。属七十五。河西務十四倉(正七品。永備南倉・永備北倉・広盈南倉・広盈北倉・充盈倉の五倉は各監支納一員・大使二員・副使二員、崇墉倉・大盈倉・大京倉・大稔倉・足用倉・豊儲倉・豊積倉・恒足倉・既備倉の九倉は各監支納一員・大使一員・副使一員)、通州十三倉(正七品。有年倉・富有倉・広儲倉・盈止倉・及秭倉・迺積倉・楽嵗倉・慶豊倉・延豊倉の九倉は各監支納一員・大使二員・副使二員、足食倉・富儲倉・富衍倉・及衍倉の四倉は各監支納一員・大使二員・副使一員)、河倉十七(従七品印。館陶倉・旧県倉・陵州倉・傅家池倉・秦家渡倉・尖塜西倉・尖塜東倉・長蘆倉・武強倉・夾馬営倉・上口倉・唐家倉・唐村倉・安陵倉・四栁樹倉・淇門倉・伏恩倉。各倉に監支納・大使・副使を配置)、直沽広通倉(正七品、大使一員)、滎陽等綱三十(済源・陵州・献州・白馬・滏陽・完州・河内・南宮・沂莒・霸州・東明・獲嘉・鹽山・武強・膠水・東昌・武安・汝寧・修武・安陽・開封・儀封・蒲台・鄒平・中牟・膠西・衛輝・濬州・曹濮州の三十綱、各綱に押綱官二員、計六十員(正八品)、船三十隻を一綱とし合計九百余隻、運糧三百余万石、船戸八千余戸)。
  • 檀景等処採金鉄冶都提挙司(正四品。金の採掘・製鉄の榷貨を掌る。国初中統年間に景州提挙司を置き、至元十四年に檀州提挙司を置き、大徳五年に両司を併せ檀州景州等処採金鉄冶都提挙司とした。提挙一員(正四品)・同提挙一員(正五品)・副提挙一員(従六品)。他に河東山西済南莱蕪等の鉄冶提挙司、益都般陽等の淘金総管府がある)
  • 大都河間等路都転運塩使司(正三品。塩の塲竈榷辦を掌る。使二員(正三品)・同知一員(正四品)・副使一員(正五品)・運判二員(正六品)・経歴一員(従七品)・知事一員(従八品)・照磨一員(従九品)。国初に河間税課達嚕噶齊清滄鹽使所を立てて以来、幾度も改称・分合を経て延祐六年に分司印を頒ち私塩を防いだ。鹽塲二十二所(利国塲・利民塲・海豊塲・阜民塲・阜財塲・益民塲・潤国塲・海阜塲・海盈塲・海潤塲・厳鎮塲・富国塲・興国塲・厚財塲・豊財塲・三义沽塲・蘆台塲・越支塲・石碑塲・済民塲・恵民塲・富民塲)、各塲司令一員(従七品)・司丞一員(従八品)を置く)
  • 山東東路転運塩使司(品秩職掌は上に同じ、運判は一員のみ。国初に益都課税所を設置以来数度の改称を経る。鹽塲十九所(永利塲・寧海塲・官台塲・豊国塲・新鎮塲・豊民塲・富国塲・高家港塲・永阜塲・利国塲・固堤塲・王家岡塲・信陽塲・涛洛塲・石河塲・海滄塲・行阜塲・登寧塲・西由塲)、各塲司令・司丞・管勾各一員(従七品~従八品)を置く)
  • 河東陝西等処転運塩使司(品秩職掌は前に同じで運判一員増。国初平陽府設置以来幾度も改称。属三――解塩塲(管勾一員(正九品)・同管勾一員(従九品))、河東等処解塩管民提領所(正提領一員(従八品)・副提領一員(従九品))、安邑等処解塩管民提領所(同上)。延祐六年に河東陝西等処都転運塩使司と改称され省部に隸した)

礼部

  • 尚書三員(正三品)・侍郎二員(正四品)・郎中二員(従五品)・員外郎二員(従六品)。天下の礼楽・祭祀・朝会・燕享・貢挙の政令、儀制損益・符印簡冊・神人封諡・忠孝貞義の褒・送迎聘好・文学僧道・婚姻継続・音楽膳供の事を掌る。中統元年、左三部の吏戸礼として尚書二員・侍郎二員・郎中四員・員外郎六員を置き、至元元年に吏礼部として尚書三員・侍郎二員・郎中四員・員外郎四員とし、七年に礼部を別立し尚書三員・侍郎一員・郎中二員としたが翌年再び吏礼部に合し、十三年にまた礼部を分ち、二十三年に六部の尚書侍郎郎中員外郎を二員の額と定め、成宗元貞元年に尚書一員を増し会同館事を領させた。主事一員、蒙古筆且齊二人、令史十九人、回回令史二人、克埒穆爾齊一人、知印二人、奏差十二人、典吏三人。属は以下の通り。

礼部の属

  • 左三部照磨所(正八品。照磨一員が吏戸礼三部の銭穀計帳を掌る。典吏八人)
  • 侍儀司(正四品。朝会・即位・冊后・建儲・奉上尊号及び外国朝覲の礼を掌る。至元八年に左右侍儀奉御等の官を設置以来、幾度も改称・員数増減を経て大徳十一年に正三品に昇り、至治元年に通事舎人・侍儀舎人を増員。定置は侍儀使四員(正三品)・引進使知侍儀事二員(正四品)、首領官典簿一員(従七品)、承奉班都知一員(正七品)、通事舎人十六員(従七品)、侍儀舎人十四員(従九品)、令史二人・訳史一人・通事一人・知印二人。属に法物庫(五品。提点一員(従五品)・大使一員(従六品)・副使一員(従七品)・直長二員(正八品))がある)
  • 拱衛直都指揮使司(従四品。控鶴六百余戸及び儀衛を掌る。至元三年設置以来品秩の昇降を経て至順二年に侍正府に撥隸。定置は達嚕噶齊一員(正三品)・都指揮使四員(正三品)・副指揮使二員(従三品)・僉事二員(正四品)・経歴一員(従七品)・知事一員(従八品)。令史四人・訳史一人・通事知印各一人・奏差二人。属に控鶴百戸所十三所(色目百戸十三員・漢人百戸十三員)と儀従庫(従七品、大使一員・副使一員)がある)
  • 儀鳳司(正四品。楽工の供奉祭饗を掌る。至元八年に玉宸院を立てて以来、宣徽院・礼部への隸属替えや大徳十一年の玉宸楽院(従二品)昇格、至大四年の儀鳳司(正三品)復帰、延祐七年の従三品降格を経て、定置は大使五員(従三品)・副使四員(従四品)、首領官経歴一員(従七品)・知事一員(従八品)、令史二人・訳史通事知印各一人。属に五署がある――雲和署(正七品、至元十二年設置、皇慶二年従五品に昇格、署令・署丞各二員・管勾二員・協音協律各一員・書史二人・書吏四人・教師二人・提控四人)、安和署(同上、至元十三年設置)、常和署(回回楽人を管領、皇慶元年設置、延祐三年従六品、署令一員・署丞二員・管勾二員・教師二人・提控二人)、天樂署(河西楽人を管領、至元十七年設置以来数度の改称を経て皇慶元年従五品)、広楽庫(従九品、大使一員・副使一員、皇慶元年設置)
  • 教坊司(従五品。承応楽人及び興和等の署・五百戸を管領。中統二年設置以来昇格を重ね、逹嚕噶齊一員(正四品)・大使三員(正四品)・副使四員(正五品)・知事一員(従八品)、令史四人・訳史知印奏差各二人・通事一人。属に興和署・祥和署(各従六品、署令署丞管勾各二員)・広楽庫(従九品、大使副使各一員)がある)
  • 会同館(従四品。諸蕃蛮夷峒官の朝貢の接伴引見を掌る。至元十三年設置、二十五年罷、二十九年復置。元貞元年、礼部尚書が館事を領することを定制とした。礼部尚書領会同館事一員(正三品)・大使一員(正四品)・副使二員(従六品)・提控案牘一員・掌書四人・蒙古筆且齊一人・典給官八人。属に収支諸物庫(従九品、大使副使各一員、至元二十九年に四賓庫を改置)がある)
  • 鋳印局(正八品。刻印・銷印を掌る。大使一員・副使一員・直長一員。至元五年設置)
  • 白紙坊(従八品。詔旨宣勅の紙劄を造る。大使一員・副使一員。至元九年設置)
  • 掌薪司(正七品。司令一員(正七品)・司丞一員(正八品)・典吏一人)

兵部

  • 尚書三員(正三品)・侍郎二員(正四品)・郎中二員(従五品)・員外郎二員(従六品)。天下の郡邑・郵駅・屯牧の政令、城池廃置・山川険易・兵站屯田・遠方帰化人・官司芻牧地・駝馬牛羊鷹隼羽毛皮革の徴・駅乗郵運祗応公廨皂隷の制を掌る。世祖中統元年に兵刑工を右三部とし尚書二員・侍郎二員・郎中五員・員外郎五員を置き、以後吏部同様に分合を繰り返し、二十三年に尚書侍郎郎中員外郎を二員と定め、至治三年に尚書一員・主事二員を増した。蒙古筆且齊二人、令史十四人、回回令史一人、克埒穆爾齊一人、知印二人、奏差八人、典吏三人。属は以下の通り。

兵部の属

  • 大都陸運提挙司(従五品。両都の陸運糧斛を掌る。至元十六年設置、延祐四年改称。提挙二員(従五品)・副提挙一員(従七品)・吏目一員。司吏六人、委差十人。海王庄・七里庄・魏家庄・臈八庄の四所に各提領一人(従九品印)を置く)
  • 管領隨路打捕鷹房民匠総管府(従三品。達嚕噶齊一員・総管一員・副総管二員・経歴知事各一員・提控案牘一員・令史六人。太祖が隨路打捕鷹房民戸七千余戸を実喇大王位下に隸属させ、中統二年に設置、至元十二年に阿布哈大王が朝廷に帰属させ兵部に隸した)
  • 管領本投下大都等路打捕鷹房諸色人匠都総管府(正三品。格蔵大王位下の事を掌る。大徳八年設置。定置は逹嚕噶齊二員・総管一員・同知一員・副総管一員・知事一員・提控案牘一員・令史四人・訳史二人・奏差二人・典吏一人。属に車局織染提挙司(従五品)がある)
  • 隨路諸色民匠打捕鷹房等戸都総管府(従三品、延祐四年正三品に昇格。逹嚕噶齊一員・総管一員・同知一員・経歴一員・知事一員・提控案牘兼照磨一員・令史六人・訳史一人・知印通事一人・奏差二人。布済克大営盤の事及び大都路打捕鷹房等戸を管領。至元三十年設置)
  • 管領本位下打捕鷹房民匠等戸都総管府(正三品。逹嚕噶齊一員・総管一員・副逹嚕噶齊一員・同知一員・副総管一員・判官一員・経歴一員・知事一員・提控案牘兼照磨一員・令史六人・訳史通事知印各一人。布済克大営盤・城池・阿哈探馬児の差発及び徹肯定王位下の事を掌る。泰定元年設置)

刑部

  • 尚書三員(正三品)・侍郎二員(正四品)・郎中二員(従五品)・員外郎二員(従六品)。天下の刑名法律の政令、大辟の按覆・繋囚の詳讞・孥収産没の籍・捕獲功賞の式・寃訟疑罪の弁・獄具の制度・律令の擬議を掌る。世祖中統元年に右三部として置かれて以来、至元七年に刑部として独立し尚書一員・侍郎一員・郎中一員・員外郎二員とし、八年兵刑部、十三年刑部に復し、二十三年に員額を二員と定め、大徳四年に尚書一員を増した。主事三員、蒙古筆且齊四人、令史三十人、回回令史二人、克埒穆爾齊一人、知印二人、奏差十人、書写三人、典吏七人。属に司獄司(司獄一員(正八品)・獄丞一員(正九品)・獄典一人。大徳七年設置、部医一人が病囚を調視)、司籍所(提領一員・同提領一員。至元二十年に大都等路断没提領所を司籍所と改め刑部に隸した)がある。

工部

  • 尚書三員(正三品)・侍郎二員(正四品)・郎中二員(従五品)・員外郎二員(従六品)。天下の営造百工の政令、城池の修濬・土木の繕葺・材物の給受・工匠の程式・銓注局院司匠の官を掌る。世祖中統元年に右三部の一つとして置かれ、以後幾度も分合を経て、二十三年に尚書侍郎郎中員外郎を各二員と定め、翌年繁冗のため尚書を二員増し、二十八年に尚書一員を省いた。首領官主事五員、蒙古筆且齊六人、令史四十二人、回回令史四人、克埒穆爾齊一人、知印一人、奏差三十人、蒙古書写一人、典吏七人、司程官四員。右三部照磨一員・典吏七人。属は極めて多く、以下の通り。

工部の属――中央の機構

  • 左右部架閣庫(正八品。管勾二員・典吏十二人。六部の文巻簿籍架閣を掌る。中統元年左右部各置、至元二十三年に併合)
  • 諸色人匠総管府(正三品。百工の技芸を掌る。至元十二年設置、逹嚕噶齊一員・総管一員・同知一員・副総管一員・経歴一員・知事一員・提控案牘一員・令史五人・訳史一人・奏差四人。属十一――梵像提挙司(従五品、至元十二年梵像局として設置、延祐三年提挙司に昇格)、出蠟局提挙司(従三品、同様の沿革)、鋳瀉等銅局(従七品、大使副使各一員)、銀局(従七品、大使一員・直長一員)、鑌鉄局(従八品、大使一員)、瑪瑙玉局(従八品、直長一員)、石局(従七品、大使一員・管勾一員)、木局(従七品、大使一員・直長一員)、油漆局(従七品、副使一員)、諸物庫(正九品、提領一員・副使一員)、管領隨路人匠都提領所(提領一員・大使一員)――いずれも至元十~十二年頃の設置)
  • 諸司局人匠総管府(正三品。両都の金銀器盒及び符牌等十四局を領し、至元十四年設置、二十四年に八局を工部に隸させ金玉府は五局一庫のみ氈毯等を掌る。逹嚕噶齊一員・総管一員・副逹嚕噶齊一員・同知一員・副総管一員・経歴一員・知事一員・提控案牘一員・令史四人。属六――収支庫(正九品、大使一員)、大都氈局(従七品、大使副使各一員、人匠一二五戸)、大都染局(従九品、大使一員、人匠六三戸)、上都氈局(従五品、大使一員・副使一員、人匠九七戸)、隆興氈局(大使副使各一員、人匠百戸)、剪毛花毯蠟布局(大使副使各一員、人匠一一八戸)
  • 提挙右八作司(正六品。漆器紅瓮等及び在都局院造作・皮毛雑物を掌る。中統三年に提領八作司(正九品)として設置、至元二十五年に提挙八作司(正六品)に昇格、二十九年に左右両司に分立。提挙二員・同提挙一員・副提挙一員・吏目一人・司吏九人・司庫十三人・訳史一人・秤子一人)
  • 提挙左八作司(正六品。内府氈貨柳器等を掌る。設置官員は右司と同じ)
  • 諸路雑造総管府(正三品。至元元年提領所を提挙司と改め、十四年に工部尚書行諸路雑造局総管府と改称。逹嚕噶齊一員・総管一員・同知一員・副総管一員・知事一員・提控案牘一員・令史六人・訳史一人。属二――簾網局(至元元年設置、大使副使各一員)、収支庫(至元三十年設置、大使副使各一員)
  • 齊逹勒局総管府(正三品。諸色人匠の造作等を掌る。憲宗朝に設置、至元十六年総管一員設置、二十七年同知一員増置。逹嚕噶齊一員・総管一員・同知一員・知事一員・提控案牘一員・司吏四人。属二――諸司局(従七品印、提領一員・相副官二員、中統三年設置)、収支庫(提領一員・大使副使各一員)
  • 大都人匠総管府(従三品。至元六年設置。逹嚕噶齊一員・総管一員・同知一員・経歴一員・提控案牘一員・令史十人・通事一人。属四――綉局(従七品印、大使副使各一員、諸王百官段匹の綉造を掌る)、紋錦総院(提領・大使・副使各一員、諸王百官段匹を織る)、涿州羅局(提領・大使各一員、紗羅段匹を織造)、尚方庫(提領・大使副使各一員、絲金顔料等の出納を掌る)
  • 隨路諸色民匠都総管府(正三品。仁宗潜邸の諸色人匠を掌る。延祐六年崇祥院に撥隸、のち将作院に属し、至元三年工部に帰隸。逹嚕噶齊一員・総管一員・同知一員・副総管一員・経歴一員・知事一員・提控案牘一員・照磨一員・令史八人・訳史一人・知印通事各一人・奏差四人。属五――織染人匠提挙司(従七品、至大二年設置)、雑造人匠提挙司(従七品)、大都諸色人匠提挙司(従五品)、大都等処織染提挙司(従五品、阿南逹王位下人匠一三九八戸を管理)、収支諸物庫(従七品)
  • 提挙都城所(従五品。至元三年設置。都城内外倉庫等の修繕を掌る。提挙二員・同提挙二員・副提挙一員・吏目一員・照磨一員。属に左右廂官四員(従九品印、至元十三年設置)
  • 受給庫(正八品。京城内外の営造木石等を掌る。提領一員・大使一員・副使一員。至元十三年設置)
  • 符牌局(正八品。虎符等の製造を掌る。大使一員・副使一員・直長一員。至元十七年設置)
  • 旋匠提挙司(従五品。提挙一員・副提挙一員。至元九年設置)
  • 薩逹克齊提挙司(正五品。提挙一員・副提挙一員・提控案牘一員。至元二十四年、組練人匠提挙司を改称)
  • 巴実伯里局(従七品。大使副使各一員。御用領袖納竒実等段の織造を掌る。至元十三年設置)
  • 和坦巴哩局(大使一員、従七品印。至元三年設置)
  • 平則門窑塲・光熙門窑塲(各提領・大使・副使各一員、従六品/従八品印)
  • 大都皮貨所・通用皮貨所(各提領・大使・副使各一員、従九品印)
  • 晋寧路・兾寧路・真定路・南宮中山・深州・𢎞州・雲内州・大同・朔州・恩州・保定・大名・永平路・大寧路・雲州・順徳路・彰徳路・懐慶路・宣徳府・興和路蕁麻林・陽門天城など各地の織染提挙司・織染局は、いずれも提挙一員・同提挙一員・副提挙一員・照略案牘一員(局の場合は大使・副使各一員)を基本の設置とし、各地の人匠を管領した。巡河提領所(提領二員・副提領一員)を末尾に置く。