繹史趙の廉頗・藺相如・趙奢、同位(趙廉藺趙奢同位)

  • 履歴: 趙の名将廉頗、弁舌の臣藺相如、名将趙奢の三者が並び立った時期の逸話を集めた項目。三人は互いに功を認め合い、趙の全盛期を支えた。

完璧帰趙と澠池の会

  • (史記より)廉頗は斉を破り上卿となった。藺相如は宦者繆賢の舎人で、秦昭王が和氏の璧を十五城と交換すると持ちかけた際、璧を守り抜いて秦を出し抜き、璧を無事趙に持ち帰った(「完璧」の故事)。
  • 秦王は璧を得られず、後に石城・二万人殺害など趙を攻めたが、澠池の会で秦王に瑟を弾かせ屈辱を与えられかけた趙王を、藺相如が命がけで秦王に缻を打たせて対抗し、趙の面目を保った。

刎頸の交わり

  • (史記より)藺相如は澠池の功により廉頗より上位の上卿となったが、廉頗はこれを不服とし辱めようとした。藺相如は「秦が趙を攻めぬのは我ら二人の存在ゆえ、私怨より国家の急を優先する」と述べてこれを避け、廉頗はその高義に感服し、肉袒して謝罪、両者は刎頸の交わりを結んだ。太史公はこの機知と度量を高く評価する。

趙奢の閼与の戦い

  • (史記より)秦が韓の閼与を攻めた際、廉頗・楽乗は「道遠く険しく救援困難」と答えたが、趙奢は「狭い穴での鼠の争いは勇者が勝つ」と請け、将として派遣された。趙奢は間者を欺き急襲策で秦軍を大破、閼与の囲みを解いた。軍吏許歴の進言を容れて北山を先に取る戦術も功を奏した。趙恵文王は趙奢を馬服君とし、以後廉頗・藺相如と同列となった。
  • (戦国策より)閼与の戦いに至る趙秦の外交駆け引き(藺・離石・祁の割譲交渉)の経緯も記される。

趙奢の兵法論

  • (戦国策より)斉の田単が「衆を用いる用兵は民を疲弊させる」と趙奢の兵法を批判したが、趙奢は「時勢が異なれば兵の規模も異なる、古の万国分立の時代と違い戦国七雄の時代には大軍が必要」と反論し、田単を感服させた。
  • 燕への割譲を巡る趙の外交で、趙奢(馬服君)は「敵国斉への恩讐を持つ安平君(田単)を趙将にするのは誤り」と趙王に説いたが用いられなかった逸話。

その他

  • (呂氏春秋より)趙恵文王が公孫龍に偃兵(軍備撤廃)の実効を問い、公孫龍は「言葉だけの兼愛では実効がない」と説いた。
  • (戦国策より)鄭同が趙王に「武備なき国は隣国に狙われる」と説き、趙王は武備の必要を受け入れた。