- 履歴: 鬼谷子(生没年・実名不詳)は戦国時代の縦横家の祖とされる隠者。鬼谷山に隠棲し、蘇秦・張儀に遊説の術を授けたと伝えられる。以下は縦横の術の成立事情と、『鬼谷子』諸篇の要旨、および鬼谷子と弟子の逸話をまとめる。
縦横家の成立事情
- (淮南子より)戦国末期、六国の諸侯がそれぞれ分立し天子も方伯もなくなったため、力による争覇が常となり、これに応じて連衡・合従など「縦横修短」の術が生まれたとする。
『鬼谷子』の要旨
- 「捭闔篇」は、陰陽の開閉になぞらえ、言葉を開いて示す(捭)か閉じて秘める(闔)かによって人の実情を探り操る、遊説術の根本原理を説く。
- 「反応篇」は、過去に照らして現在を知り、相手に語らせて反応から本心を探る「反聴」の術を説く。餌で魚を釣るように言葉で相手の内情を引き出す手法を論じる。
- 「内揵篇」は、君臣・上下の関係における親疎・進退の機微を説き、道徳・党友・財貨・容色などによって人と結びつく術を論じる。
- 「抵巇篇」は、物事の破綻の兆し(巇=ひび割れ)を早期に察知し、これを塞ぐか、あるいはそれに乗じて利を得るかを説く。世が治まるならば塞ぎ、乱れるならば乗じて取るべしとする。
- 「飛箝篇」は、相手を称賛し煽てて(飛)本心を引き出し、これを抑え込む(箝)遊説の技法を説く。
- 「忤合篇」は、時勢や相手に応じて合従(忤)と連衡(合)を使い分ける柔軟な処世の術を説き、伊尹が湯と桀の間を五度往来し、太公望が文王と殷の間を行き来した末に真の主に帰した故事を、この術の体現例として引く。
- 「揣篇」は、天下の権勢・諸侯の実情を推し量る「量権」と、人の喜怒の情を見極める「揣情」の重要性を説き、相手が最も喜ぶ時・最も恐れる時にこそ本心が現れるとする。
- 「摩篇」は、内なる本心(内符)を外から探り動かす技法を説き、優れた説客は淵に釣り糸を垂れるように相手の心を自然に動かして事を成すとする。
- 「権篇」は、言葉の使い分け(佞言・諛言・平言・戚言・静言等)や、相手の性質(智者・拙者・貴者・富者・貧者・勇者等)に応じて話法を変える技術を説く。
- 「謀篇」は、謀略の立て方(上・中・下の三儀)を説き、仁者は利で誘え、勇士は危難で誘え、智者は道理を示せという、相手の性質に応じた誘導の要諦を論じる。公然の策より私的な結びつき、正攻法より奇策を重んじ、「事は人を制するに貴く、人に制せられるに貴からず」との権謀の要諦で締めくくる。
遊説の心得(説苑)
- 鬼谷子は「不善なる者を正すことは難しい。説いても行われぬのは弁が明らかでないからであり、明らかでも行われぬのは持論が固まっていないからであり、固まっていても行われぬのは相手の心の善しとするところに中っていないからだ」と説き、弁舌・持論・人心への適合の三つが揃ってこそ真の説得(善説)となると論じた。
蘇秦・張儀との師弟伝説
- (拾遺記より)蘇秦・張儀は若い頃、共に苦学し、聖人の言でなければ読まず、手足に墨で書き留めては夜に竹簡に写すという勤勉ぶりであったという。ある日出会った老人に国を問われ「鬼谷(帰谷)の出身だ」と答え、そこで縦横の弁術を授かったとする成立伝説を伝える。
- (論衡より)鬼谷先生が地に穴を掘り、「この穴に向かって説いて私を泣かせられれば、人主の土地を分け与える才があると認めよう」と試したところ、蘇私の説得で先生は涙を流したという逸話。
- (真隠伝より)鬼谷先生は蘇秦・張儀の栄達を見て、河辺の木(風雪に晒され痛めつけられる)と、嵩山・泰山の松柏(人跡稀な地で千年を全うする)とを対比し、身の置き所こそが運命を分けると諭す書を送った(割注に、道教的に神仙化された鬼谷先生像や、蘇秦・張儀の返書、蘇秦が邯鄲の富豪蘇大侯を説いて厚遇を得た逸話などが付記される)。