繹史斉桓公の覇業(二)(齊桓公覇業(二))

長勺の戦いと曹劌の献策

  • (左伝より)魯荘公十年、斉が魯を攻めた際、曹劌は「肉食者は浅慮」として謁見を願い出、荘公に開戦の根拠(衣食の分配・祭祀の誠実・訴訟の公正)を確かめた上で従軍を許された。長勺の戦いでは、斉軍の三度目の太鼓で初めて反撃し、旗の乱れを見て追撃を許可し、斉軍を大破した。曹劌は「一鼓作気、再而衰、三而竭」と気勢の理を説いた。
  • (国語より)曹劌が荘公に問答した際、荘公は民への恵み・祭祀・訴訟における誠実さを答え、曹劌は「民の帰する心」があれば戦えると評した。
  • (穀梁伝より)この戦いの記述に日を記さないのは「疑戦」であったためとする。

譚国・遂国の滅亡と北杏・柯の盟

  • (左伝より)斉侯(桓公)が即位前に譚を通過した際に礼を失われ、即位後も譚が朝賀に来なかったため、斉は譚を滅ぼした。荘公十三年、桓公は北杏で諸侯と会し宋の内乱を鎮めようとしたが遂は従わず、遂を滅ぼしてこれを守った。冬、柯で盟を結び斉魯の和平が成る。
  • (公羊伝・穀梁伝より)柯の盟は桓公が信を示した盟とされ、以後桓公の信義は天下に知られたとする。
  • (左伝・史記・呂氏春秋より)柯の盟の壇上で魯の曹沫(曹劌と同一説あり)が匕首で桓公を脅し、魯の失地返還を迫った。桓公は約束を守って土地を返し、管仲は「小利を貪り信を捨てれば天下の援けを失う」と諫めて背約を止めさせた。呂氏春秋では曹翽の名で同様の逸話を記す。

鄄・幽の会盟と鄭詹の一件

  • (左伝より)荘公十四~十七年、諸侯は宋を討ち、鄄・幽で会盟して覇業の基礎を固めた。鄭は斉に背き伐たれ、鄭の大夫詹(鄭瞻)が斉に捕えられた(公羊伝・穀梁伝はこれを「佞人を書す」として記す)。
  • (左伝より)遂の遺民が斉の戍卒を酔わせて殺す事件(瀸・殲の解釈は公羊・穀梁で異なる)。

山戎討伐と燕の救援

  • (左伝より)荘公三十年、桓公は燕のために山戎を討ち、孤竹まで進んだ。燕の荘公が国境を越えて桓公を見送ったため、桓公は礼に反するとして溝を分かち、その地を燕に与えた。
  • (管子より)孤竹遠征の途上、俞児という山神を見た故事から、管仲が地形(水の有無)を読み解いた逸話。
  • (韓非子より)管仲・隰朋が孤竹遠征で道に迷った際、老馬の知恵と蟻塚から水を得た故事(「老馬の智」)。

召陵の盟と屈完問答

  • (左伝より)僖公四年、桓公は諸侯の軍を率いて蔡を破り楚に迫った。楚の使者に管仲は周室への貢物不足(包茅)を責め、楚は屈完を派して召陵で盟を結んだ。桓公が「この軍勢で誰が防げようか」と誇ると、屈完は「君が徳をもって諸侯を安んずれば服するが、力を頼めば楚は方城・漢水を城池とする」と応じた。
  • (公羊伝・穀梁伝より)楚の服従を「喜服楚」と表現し、中国を夷狄の侵食から守った桓公の功績を称える。
  • (韓非子より)蔡姫が桓公と舟遊びをして揺らし、怒った桓公が蔡姫を実家に帰したことが蔡討伐の発端となった逸話。

陳・鄭をめぐる会盟と轅濤塗の計略

  • (左伝より)許穆公が従軍中に没す。陳の轅濤塗は斉軍を東方(東夷経由)へ誘導しようとし鄭の申侯に諮ったが、申侯は逆に桓公へ密告して自らの利を図った。斉は西方経由で進み、濤塗を捕えて陳を討った。後に鄭申侯は讒言により処刑された(陳轅宣仲の讒言)。
  • (公羊伝・穀梁伝より)濤塗の罪は「軍を避けさせようとした」ことにあるとする。
  • (呂氏春秋より)楚の文王が申侯の追従を見抜き、後の禍を予言していた逸話。

首止・甯母・洮の会盟

  • (左伝より)僖公五年、首止で王太子鄭(後の襄王)の地位を安定させる会が開かれた。鄭は斉との盟に背き逃げ帰った。翌年、諸侯は鄭を討ち新密を包囲。楚は許を包囲し鄭を救おうとしたが降伏した許君を武王克殷の故事にならい許した。
  • (左伝より)甯母の盟で管仲は「礼と信をもって諸侯を統べる君主が姦を働けば範を示せない」と諫め、鄭太子華の内応要求を桓公に拒否させた。
  • (左伝より)洮の盟は王室のための会、鄭は請うて服した。

葵丘の会盟

  • (左伝より)僖公九年、葵丘の会で周の宰孔が桓公に文武の胙を賜り、下拝せずともよいと伝えたが、桓公は「天威は目前にあり」と述べて拝礼を行った。
  • (公羊伝・穀梁伝より)葵丘の盟では牲を殺さずに盟書を読み上げ、「泉を雍ぐな、糴を止めるな、樹子を易えるな、妾を妻とするな」等の天子の禁令を示した。
  • (管子より)宰孔が桓公に胙を賜る場面を管仲が「君は君、臣は臣たるべし」と補足し、桓公が自らの功業を誇ると管仲は鳳凰麒麟の瑞祥が現れないことを挙げて驕りを戒めた。
  • (史記より)桓公は封禅を望んだが管仲は「今、麒麟や嘉穀の瑞祥が現れず、逆に悪草・悪鳥が現れている」として諫め、桓公は封禅を断念した。
  • (国語より)晋の献公は葵丘の会に赴こうとしたが宰周公・宰孔の諫めにより中止した(斉侯は施しを誇るのみで徳が薄いとする評)。

淮・鹹・牡丘の会と杞・邢・衛の再興

  • (左伝より)僖公十三~十七年、諸侯は淮で会して王室・杞のことを謀り、狄に滅ぼされかけた邢・衛を城を築いて再興し、山東の外交にも力を入れた。杞を緣陵に、邢を夷儀に、衛を楚丘に移して封じた。
  • (公羊伝・穀梁伝より)「桓公のために諱む」として、実際に城を築き封じたのは桓公だが、諸侯が専断で封建することはできないため文面上は「実与而文不与」と記す。
  • (左伝より)楚が徐を伐ったため諸侯は牡丘で盟い徐を救援。項の滅亡は斉によるものだが、桓公のために諱み記さない(公羊伝・穀梁伝)。

桓公・管仲の政治問答(管子『大匡』より抄)

  • 桓公即位二年、管仲は「君主が覇王を目指すか否か」を確かめ、社稷を定める覚悟を求めた。桓公は当初軍備増強や魯・宋への性急な出兵を試みたが、管仲は「内政が整わぬまま外征すれば危うい」と繰り返し諫め、長勺の戦い(魯への出兵)などで実際に敗れた。
  • 管仲は民心の統合・信義の醸成を優先し、諸侯への礼物・恩賞制度、鄰国への援助(杞・邢・衛の封建に車馬甲兵を与えた話)を通じて徐々に信望を得させた。
  • 五年ごとの段階的な施策(税制軽減、諸侯への礼遇、賢士の登用と交流)を経て、桓公は最終的に「乗車の会六、兵車の会三、九合諸侯」の覇業を達成したと記す。

桓公・管仲の政治問答(管子『霸形』より抄)

  • 桓公が鴻鵠の飛翔に例えて天下統一の志を語ると、管仲は「君主の本は百姓にあり」と説き、租税軽減・刑罰緩和・時に応じた徴発を勧めた。
  • 桓公が病を装い宋・狄の邢衛侵攻を放置しようとした際、管仲は鐘磬の音を「哀しみの声」と喩えて出兵を促し、桓公はこれに従って三国(杞・邢・衛)を封建し直した。

(この『大匡』『霸形』の記事は史実の年次と齟齬が多く、諸家の伝聞を管子の名でまとめたものと編者は注記する。)

桓公・管仲の逸話(諸書雑記)

  • (呂氏春秋より)衛姫が桓公の顔色から衛討伐の意図を見抜き諫めた話、莒討伐の謀を東郭牙が桓公の表情から言い当てた話。
  • (管子より)莒が楚に攻められ救援を求めた際、管仲は使者の態度から莒君が小人物と見抜き、救援せず莒は亡んだとする逸話。
  • (管子より)四夷(呉越・発朝鮮・禺氏・崑崙)を珍宝により朝貢させる政策、魯・梁の民に綈(絹織物)を流行させて経済的に従わせた「服帛」策の逸話(同類の萊・莒・楚・衡山の話は重複が多く省略と付記あり)。
  • (説苑・管子より)霖雨の中で敵城を攻めようとした計略、桓公の即位時の釁社での祝辞に激怒した逸話、婦人の勘で外征の失敗を見抜いた中婦諸子の話。
  • (淮南子・説苑・韓非子より)節倹politics:肉食の獣・粟食の鳥を放った善政、紫色の衣の流行を自ら断って抑えた話、厚葬の風を法令で禁じた話。
  • (管子より)商人と農民の富の偏りを水利で調整した話、街路樹の剪定により風紀と経済を整えた話(男女の徘徊防止)。
  • (韓非子・説苑より)独身の民のために婚姻年齢を定めた話(鹿門稷の逸話)、狩猟中に出会った老人(愚公の谷、麦丘の老人、亡国の墟の故事)から教訓を得た話。
  • (韓詩外伝・管子より)桃の杖を持つ丈夫との問答、東方巡遊での管仲の游夕論、宴席での節度の教え(管仲が酒を半分残す話)。
  • (韓非子より)冠を失った恥を善政で覆した逸話とそれに対する異論。
  • (韓非子・新序・説苑より)賢士小臣稷への礼遇、東野の鄙人の九九の術を礼遇し人材を集めた話、甯戚への政治問答(賢者登用の五つの障害)。
  • (管子・礼記・韓非子・説苑より)猛狗と社鼠の比喩で佞臣を戒めた話、孟簡子の食客の逸話、復槀の君の無言の諫言。
  • (韓詩外伝・荘子より)「王は民を貴ぶべし」との管仲の言、輪扁が桓公の読書を古人の糟粕と評した寓話。
  • (管子より)馬を養う吏に「曲木と直木の順」を問答した話、隰朋・管仲が粟や禾を君子の徳に例えた話。
  • (論衡・新序より)桓公が疽瘡を負い婦人を背負って諸侯に朝した話(本来は襄公の故事の誤伝と編者注記)。
  • (説苑より)鮑叔への問答で桓公が自らの功を誇ると、鮑叔は公子糾の代・魯境での失態・姪娣を離さぬ私行を挙げて戒めた。
  • (荀子より)桓公の行いには仁義に悖る面が多いが、管仲を用いる度量の大きさゆえに覇者たりえたと総括する。
  • (尚書中候・春秋文耀鉤・荘子より)黄河の治水、白虹の怪異、桓公が沢で鬼(委蛇)に遭遇した話(見た者は覇者になるという言い伝え)。
  • (管子・博物志・金楼子より)桓公が馬に乗って虎に出会った話(駮馬が虎を食う獣に似ているため虎が恐れた)、蚊を憐れんだ寓話など、後世の付会とみられる逸話。