繹史礼の通論(禮通論)

『禮記』の「檀弓」「禮器」「郊特牲」「大傳」「祭義」「經解」、および『大戴禮記』「盛徳」篇から、礼の本質・原理を論じた総論的な章句を集める。

三代の礼の違い(檀弓)

  • (禮記「檀弓」より)夏后氏は黒を尊び、殷人は白を尊び、周人は赤を尊ぶとし、大事(葬儀)・戎事(軍事)それぞれで用いる時刻・馬・牲の色が王朝ごとに異なることを述べる。

礼の意義と多寡の原則(禮器)

  • (禮記「禮器」より)礼は天の時・地の利・鬼神・人心に適うものであり、身の丈に合わぬ祭りは鬼神も受け入れないとする。国の広狭・年の豊凶に応じて礼の厚薄を定めるべきだとし、堯舜禹湯武王の禅譲・放伐もすべて「時」に適った例とする。
  • (禮記「禮器」より)礼には「多きを貴ぶ」場合(天子七廟・諸侯五廟など身分に応じた数)と「少なきを貴ぶ」場合(天子は祭天に特牲を用いるなど)、「大を貴ぶ」場合(宮室・棺槨の規模)と「小を貴ぶ」場合(宗廟祭祀の献酬に用いる爵の大小)、「高きを貴ぶ」場合と「下きを貴ぶ」場合、「文を貴ぶ」場合と「素を貴ぶ」場合があり、いずれも身分と場に応じた「称」(つりあい)が肝要だと説く。
  • (禮記「禮器」より)管仲の華美な祭器や晏平仲の質素すぎる祭祀を共に「礼に外れる」と評し、孔子の「戦えば克ち、祭れば福を受く」との言を引いて礼を慎むことの意義を説く。
  • (禮記「禮器」より)礼は身体のようなもので、大小・顕微いずれも欠かせぬとし、経礼三百・曲礼三千もその根本は一つであるとする。夏・殷・周で尸の座らせ方(立尸・坐尸・旅酬六尸)に違いはあれど、その道は一つだとする。
  • (禮記「禮器」より)礼は人情に近いものが必ずしも至れるものではなく、郊祭では血のままの牲を、大饗では生の肉を供えるなど、あえて素朴・古式を残すことに意義があるとする。魯・晋・斉の人々が本尊を祭る前に別の神を祭る故事を挙げ、慎みの至りを説く。
  • (禮記「禮器」より)礼は「本に反り古に脩る」ものであり、凶事に先触れをしない、吉事に音楽を用いる、酒に玄酒(水)を尊ぶ、簟や稾鞂(藁筵)を安んじて用いるなど、先王の定めには必ず理由があるとする。
  • (禮記「禮器」より)先王は天時・地財に従って大事を行い、賢者を挙げ衆を集めて誓うことで、天地・鬼神と通じ合い、天下を治めたとする。
  • (禮記「禮器」より)礼と楽は互いに反本する(礼は自らの生まれ出た所へ、楽は自らの成った所へ立ち返る)ものであり、一献・三献・五献・七献など献数の多寡は祭祀の格に応じ、龍・金・帛など供物の順序にもそれぞれ意味があるとする。忠信の人でなければ礼は空虚に流れると結ぶ。

郊特牲・社稷の祭(郊特牲)

  • (禮記「郊特牲」より)郊祭には単一の牲を用い、社稷には大牢を用いる。天子が諸侯を訪ねる際・諸侯が天子に膳する際の牲の格式、大路(車)の飾りの多寡、灌(酒を注ぐ儀)に鬱鬯を用いる理由などを述べ、「至敬は味を饗せず気臭を貴ぶ」とする。
  • (禮記「郊特牲」より)賓客を迎える際の音楽・献酬の作法(奠爵して工が升り歌う次第など)を述べ、楽は陽から、礼は陰から作られるとする。
  • (禮記「郊特牲」より)庭燎(庭のかがり火)を百とすることは斉桓公に始まり、大夫が肆夏(楽曲)を奏でることは趙文子に始まるなど、僭礼の由来を列挙する。天子は臣下を訪ねても阼階(主人の階)を上らぬ礼、天子が堂を下りて諸侯に会うのは夷王以来の失礼であるとし、諸侯・大夫による僭礼(宮縣・白牡・臺門など)を批判し、礼の乱れが天下の乱れにつながると説く。
  • (禮記「郊特牲」より)礼が尊ばれるのはその「義」(意味)ゆえであり、形式(数)だけを祝史が伝えても、義を知り敬んで守ることこそ天子が天下を治める所以であるとする。

天下の統治と親疎の道(大傳)

  • (禮記「大傳」より)聖人が南面して天下を治めるにあたり先とすべき五事(親を治める・功に報いる・賢を挙げる・能を使う・愛する者を存する)を挙げ、権度量衡・正朔・服色・徽号・器械・衣服などは時代により変えてよいが、親疎・尊卑・長幼・男女の別は変えられないとする。

先王が天下を定めた五つの徳目(祭義)

  • (禮記「祭義」より)先王は徳ある者を貴び、貴き者を貴び、老いた者を貴び、年長者を敬い、幼き者を慈しむという五事によって天下を定めたとし、至孝は王に、至弟(悌)は覇に通じると説く。
  • (禮記「祭義」より)天子は天地と徳を並べ、日月と明を並べる存在であり、朝廷では仁聖礼義の序を、燕居では雅頌の音を、行歩には環珮の音を伴わせるなど、居ずまい全てに礼があるとする。号令が民を喜ばせれば「和」、上下相親しめば「仁」、民が求めずして得れば「信」、天地の害を除けば「義」と名づけ、礼は衡(はかり)や縄墨(すみなわ)のように公正の基準であるとする。
  • (禮記「祭義」より)朝覲・聘問・喪祭・郷飲酒・昏姻など各種の礼が、それぞれ君臣・諸侯間・親子・長幼・男女の秩序を明らかにする役割を持つとし、これらの礼が廃れれば社会の秩序も崩れると説く。

先王の盛徳と刑罰の淵源(大戴禮記「盛徳」)

  • (大戴禮記「盛徳」より)聖王の盛徳のもとでは人民・六畜・五穀が災いを受けず、天子は季冬に徳を考察して治乱を知るとする。天災は明堂の制の乱れから、姦邪窃盗は度量の欠如から、不孝は喪祭の礼の不明から、弑逆は朝聘の礼の乱れから、闘争は郷飲酒の礼の廃れから、淫乱は昏礼の廃れから生じるとし、刑罰の根源を正すには礼の各制度を整えることが必要だと説く。
  • (大戴禮記「盛徳」より)明堂は天の法、礼度は徳の法であり、刑法だけで民を治めようとすれば車馬を損なうように国を滅ぼすとし、御者が手綱を正しく操るように、善き為政者は徳法を正して民心を治めるべきだとする。夏桀・殷紂が徳を失って滅んだ例を挙げ、冢宰・司徒・宗伯・司馬・司寇・司空の六官がそれぞれ道・徳・仁・聖・義・礼を担うことで国を治めるとし、官職の乱れに応じてどの官を正すべきかを列挙する。