繹史覲見の礼(覲禮)
『儀禮』覲禮篇を引く。諸侯が天子に謁見する「覲」の儀礼を記す。
郊労
- (儀禮覲禮より)諸侯(侯氏)が王都の郊外に至ると、王は使者を遣わし璧を用いて労う。侯氏はこれに答えて璧を返す作法を行う。
儐使者・賜舍
- (儀禮覲禮より)侯氏は使者を束帛・乗馬でもてなし(儐)、王から宿舎を賜る旨の言葉を受けて再拝稽首する。
戒期・受次
- (儀禮覲禮より)王は大夫を遣わして覲見の日を告げ(戒期)、諸侯は朝廷で控えの場所(次)を同姓・異姓の別に応じて割り当てられる。
覲礼(本儀)
- (儀禮覲禮より)侯氏は禰廟に幣を捧げてから墨車に龍旂を立てて出発し、瑞玉(圭)を奉じて王に謁見する。王は斧依(屏風)を背にして立ち、「伯父よ、よく来た」と労いの言葉をかける。侯氏は圭を奉じ、王がこれを受け取る。
- (儀禮覲禮より)続いて四度にわたり束帛・璧などを献じる「四享」の儀があり、庭には自国の産物(馬など)を並べる。
聴事・賜車服
- (儀禮覲禮より)儀が終わると侯氏は肉袒(片肌脱ぎ)して恭順の意を示し、王は「もう帰ってよい」と労う。王は侯氏に車馬・衣服を賜り、大史がその由来を述べて衣服の上に載せる文書を加える。
称号の別
- (儀禮覲禮より)同姓の大国は「伯父」、異姓は「伯舅」、同姓の小国は「叔父」、異姓は「叔舅」と称される定めが記される。
饗礼
- (儀禮覲禮より)最後に饗宴が催されて諸侯は帰国する。
諸侯を集めた大会(時会・殷同)の儀
- (儀禮覲禮より)諸侯を招集して行う大規模な会(方三百歩の宮を築き、四方に門・壇を設ける)では、方明(六色・六玉を配した木製の祭具)を壇上に置き、天子は龍旗を掲げて出入りし、日・月・山川などを四方の門でそれぞれ祀る定めが記される。
- (儀禮覲禮より)巡守の際には天子自ら山や川に燔柴・沈祭・瘞祭などの祭祀を行う。
『禮記』にみる覲・朝の別と諸侯への賜与
- (禮記「曲禮」より)天子が屏風を背に立って諸侯と会うのを「覲」、几に寄って会うのを「朝」と呼ぶなど、場面による呼称の違いを述べる。天子が諸侯に弓矢・鈇鉞・圭瓚などを賜ることで、征伐・誅殺・祭祀用の鬯酒醸造などの権限を授ける定めも記される。
『大戴禮記』にみる朝聘の意義
- (大戴禮記より)聖王は貴賤・尊卑の別を明らかにするため朝聘の礼を定め、天子からの距離に応じて謁見の頻度(千里以内は毎年、以遠は二年・三年…と逓減)を定めたと説く。
- (大戴禮記より)天子が諸侯を明堂に集めて朝見させる儀では、位置取りにより親疎・内外の別を示し(土揖・時揖・天揖)、圭を奠じて拝礼することで臣礼を明らかにするなど、朝礼の一つ一つの所作に教化的な意味があるとする。
『禮記』明堂位にみる周公の故事
- (禮記「明堂位」より)周公が武王の後を受けて成王を輔け、明堂で諸侯を朝見させて礼楽を制定し、七年目に成王へ政を返したという故事を記す。あわせて、明堂の九室・戸牖の数などの構造も割注に記される。
天子の巡守
- (禮記「王制」より)天子は五年に一度巡守し、東・南・西・北の各嶽で山川を祀り、諸侯に謁見して民情を視察する(詩を集めて風俗を観察し、市場を調べて民の好悪を知る等)。礼楽・度量衡を統一し、不敬・不孝・制度違反などに応じて諸侯を削地・貶爵・討伐する規定も記される。
諸侯間の相朝礼
- (大戴禮記より)諸侯が互いに朝見し合う礼も、天子への覲礼に準じ、境での出迎え・郊労・館での応接などを経て、財を惜しまず礼を尽くすことで諸侯間の信頼と秩序が保たれるとする。