繹史周の官制(上)(周官之制(上))
- 履歴: 成王の代、天下がすでに安定し周の官制がまだ整っていなかったため、周公が「周官」を作り、続いて「立政」を作って百官の任用の要諦を示したとする。周初の官制整備の経緯とその理念を記す篇。
立政(周官整備の背景)
- (書・立政より)周公が成王に、夏・商の官制の得失を振り返りつつ、常伯・常任・準人など要職の人選の重要性を説いたとする。夏の桀が暴徳の者を用いて滅び、成湯が三種の賢者(三有宅・三有俊)を得て興ったこと、殷の末年に至るまで文王・武王が人選を誤らなかったことを例に挙げ、成王にも「憸人(佞人)」を退け「吉士(善良な人材)」を用いるよう戒めたとする。
周官(六卿制の確立)
- (書・周官より)成王が「唐虞の古を稽え官を建てるに惟れ百」の故事に倣い、太師・太傅・太保の三公、少師・少傅・少保の三孤、そして冢宰・司徒・宗伯・司馬・司寇・司空の六卿にそれぞれの職掌(邦治・邦教・邦礼・邦政・邦禁・邦土)を定めたとする官制の詳細を記す。
- (書・周官より)官職は「其の官に備わることを惟わず、其の人を惟う」(数を揃えることより適任者を得ることを重んじる)という理念や、公私を分け驕らず倹しく職務に当たるべきことを説く訓戒を伝える。
編者按
特になし(本篇は書経の引用が中心で、編者按の記載はここまでの範囲には見られない)。