繹史文王、天命を受ける(文王受命)

  • 履歴: 周の文王(姫昌)は季歴と太任の子として生まれ、太任の胎教により生まれながらに聖明であったとされる。父季歴の後を継いで西伯となり、后稷・公劉以来の業を継承して仁政を敷き、太公望・散宜生ら賢臣を得た。紂王により羑里に囚われたが、諸臣の計により釈放され、諸侯を征して天下の三分の二を帰服させ、豊邑に遷都して基盤を固めたと伝える。崩後、子の武王が受命したとされる。

出生と胎教

  • (列女伝・詩・大明より)太任が姙娠中も邪色・淫声を避け胎教を実践し、文王が生まれながらに聖であったとする。文王の身体的瑞相(四乳等)を緯書が伝える。

世子としての孝行

  • (礼記・大戴礼より)文王が世子として父王季に日に三度安否を問い、その様子から孝行の篤さが窺えるとする。

即位と善政

  • (史記より)季歴の崩後、昌が立って西伯(文王)となり、后稷・公劉の業を継ぎ、古公・公季の法に則り、仁を篤くし老を敬い賢者に礼を尽くしたため、士がこぞって帰服したとする。
  • (墨子より)文王が岐周に封ぜられ百里四方の小国でありながら、民と利を分かち合ったため近隣・遠方ともにその徳に帰したとする。

地震の異変への対応

  • (呂氏春秋より)文王が病中に地震があった際、これを己の罪への天罰と受け止め、城を大きくするのではなく礼を慎み諸侯・豪士への礼遇を厚くすることで災いを移したとする。

太姒と十子

  • (列女伝・詩・思斉より)文王が太姒を渭に迎え、伯邑考・武王発・周公旦ら十子を生んだとする。太姒が徳を持って十子を教え導いたことを詩が称える。

国風の由来(詩経周南・召南)

  • (詩・関雎ほか多数より)「関雎」「葛覃」「螽斯」「桃夭」「兎罝」「甘棠」など、文王の徳化が及んだ国風の由来を、毛詩序の解釈とともに列挙する。編者は諸篇について文王・太姒・召伯の徳を讃えるものとして整理する。

賢臣の招聘

  • (史記・帝王世紀より)伯夷・叔斉・太顛・閎夭・散宜生・鬻子・辛甲らが西伯の養老の徳を慕って帰服したとする。

鬻子との問答

  • (新書・列子より)文王が鬻子(鬻熊)に政の要諦・剛柔の理を問い、鬻子が「剛を欲すれば必ず柔をもってこれを守る」等の道家的教訓を説いたとする一連の問答を集成する。

帝乙・紂の系譜と暴政の兆し

  • (史記・呂氏春秋より)帝乙の後、微子啓(庶兄)ではなく正后の子である受徳(紂)が嫡子として立てられた経緯を伝える。
  • (史記より)紂は弁才・体力に優れ諫言を退け、自らを万人の上に置く傲慢さがあったとする。

紂の淫楽と暴虐

  • (史記・列女伝・帝王世紀ほかより)紂が妲己を寵愛して淫楽に耽り、酒池肉林・炮烙の刑などの暴虐を行ったとする逸話を詳述する。

象箸の諫め

  • (史記・韓非子より)紂が象牙の箸を作った際、箕子がこれを見て奢侈の兆しを憂い、後の滅亡を予見したとする故事(「見小曰明」)を伝える。

九侯・鄂侯の誅と西伯の投獄

  • (史記より)西伯昌・九侯・鄂侯が紂の三公であったが、九侯の娘が紂の意に沿わず殺され醢にされ、これを争った鄂侯も脯にされたとする。西伯がこれを嘆いたことを崇侯虎が讒言し、紂が西伯を羑里に囚えたとする。

羑里での易の演繹

  • (史記・琴操より)西伯が羑里で八卦を六十四卦に演じたとする伝承と、易六十四卦の卦辞を掲げる(編者は文王が六十四卦を始めて作ったとする史記の説に疑義を呈する)。

西伯の釈放

  • (史記より)閎夭らが美女・珍宝を集めて紂に献じ、紂がこれを喜んで西伯を釈放し、弓矢・斧鉞を賜り征伐権を与えたとする。

炮烙の刑の除去

  • (史記・韓非子より)西伯が洛西の地を献じて炮烙の刑の廃止を願い出たとする、民心を得るための行動として評価される逸話を伝える。

玁狁・犬戎への備え

  • (詩・采薇ほかより)文王の時代、西に昆夷、北に玁狁の脅威があり、天子の命により戍役を送り出したことを詠う詩群を引く。

太公望との出会い

  • (史記より)呂尚(太公望)が渭水のほとりで釣りをしていたところを西伯が猟の卜占で見出し、師として迎えたとする、出会いの複数の異伝を伝える。

虞芮の訟の裁定

  • (史記より)虞・芮の二国が土地争いを訴えようとして周の国境に入り、耕作者が畔を譲り合う様子を見て自ら恥じて争いをやめたとする。これにより西伯が受命の君と称されたとする。

密須・崇の征伐と豊邑造営

  • (詩・皇矣ほかより)文王が密須・崇を征し、豊邑を造営したことを詠う詩を引く。

霊台の造営と枯骨の埋葬

  • (詩・霊台、新序より)文王が霊台を築いた際、掘り出された身元不明の遺骨を丁重に改葬させたという逸話を「天下の主たる者の仁」として伝える。

讌飲・待賓の詩

  • (詩・鹿鳴ほかより)文王の代の賓客歓待・使臣慰労の詩(鹿鳴・四牡・皇皇者華・伐木・天保)を集める。

文王の徳の総括(大雅・文王)

  • (詩・文王より)「周雖旧邦、其命維新」の句を引き、周の受命が文王の徳による新たな天命であったとする詩の記述を掲げる。

編者按

  • 文王が西伯として紂に事えた経緯を、受命年から崩年までの九年間の事跡(虞芮の訟裁定、犬戎・密須・耆国・邘・崇の征伐、豊邑・霊台の造営)に沿って整理する。文王が生涯「稱王」(王を称する)ことなく、臣節を守り通したことを「至徳」として高く評価する。文王・武王の年紀や「称王改元」の説について、史記・書経の記述に矛盾があることを指摘し、後世の俗説(文王が受命の年に王を称し改元したとする説)を「妄言」として退け、経に基づく年次の再検討を試みる。