- 履歴: 商(殷)の始祖契から成湯(天乙)に至る系譜と、夏の孔甲以降の衰亡、湯による桀の放伐、殷王朝の建国までを述べる。契は母簡狄が玄鳥の卵を呑んで生まれ、舜に仕えて司徒となり商に封ぜられた。八遷を経て湯が亳に都し、伊尹を得て桀を鳴条に破り、天子の位に即いたと伝える。
契の出生と商の起源
- (史記・列女伝・古史考より)簡狄が沐浴の際に玄鳥の卵を呑んで契を生んだとする感生神話を伝える。
- (史記より)契は禹の治水を助けた功により、舜から司徒に任ぜられ、五教を敷き、商に封ぜられ子姓を賜ったとする。
商の歴代先公
- (史記・世本より)契から昭明・相土・昌若・曹圉・冥・振・微(上甲微)・報丁・報乙・報丙・主壬・主癸まで、代々の継承を簡潔に記す。
湯の出生
- (帝王世紀より)主癸の妃扶都が白気が月を貫くのを見て感応し、乙の日に湯(履、字は天乙)を生んだとする瑞相を伝える。
夏の孔甲の乱行と衰亡
- (史記より)孔甲が鬼神の事を好み淫乱で、龍を飼おうとして失敗した逸話(劉累の御龍氏)を伝える。
- (呂氏春秋より)孔甲が民家の子を奪い取り、後にその子が足を斬られ「破斧の歌」が作られたとする故事を伝える。
桀の暴虐と末喜
- (史記・列女伝より)孔甲以後、皋・発を経て桀(履癸)が立ち、徳を務めず武力で民を傷つけたため諸侯が離反したとする。
- (列女伝より)桀の妃末喜が美貌でありながら不徳で、酒池肉林の淫楽に耽り、桀を惑わせたとする逸話を詳述する。
湯の即位への道と伊尹の登用
- (史記・呂氏春秋より)湯が八遷ののち亳に都し、葛伯が祭祀を怠ったのを討ったことに始まり、諸侯を征していったとする。
- (史記・呂氏春秋ほかより)伊尹が有莘氏の媵臣として鼎俎を負い、滋味を説くことで湯に近づき、のち湯に召されて相となったとする故事を、複数の異伝とともに伝える。
伊尹の夏への使いと桀の観察
- (史記・新序より)伊尹が一度夏に赴き桀の様子を見て戻り、桀の酒池・炮烙などの暴虐と、忠臣関龍逄の諫死などを報告したとする。
- (呂氏春秋より)伊尹が桀の妃末喜の言を通じて桀の夢占い(二つの日が争う夢)を聞き、湯に報告して討伐の機を計ったとする。
桀の暴政と天変地異
- (淮南子・尚書中候ほかの緯書より)桀の代に天変地異・怪異が相次いだとする記述を多数集成する。
鳴条の戦いと桀の敗走
- (書・湯誓より)湯が民に向けて桀の罪を挙げ、天罰を代行する旨を誓ったとする。
- (史記・帝王世紀より)湯が桀を鳴条で破り、桀は妺喜らと共に南巣に逃れて死んだとする。
湯の即位と譲位の逸話
- (周書・殷祝より)湯が桀を放逐した後、三度にわたり天下を譲ろうとしたが桀に固辞され、諸侯の推戴を得てついに天子に即位したとする。
- (荘子・韓非子より)湯が卞随・瞀光に天下を譲ろうとしたが、いずれも汚辱として身を投げて拒んだとする逸話を伝える。
慚徳と仲虺の誥
- (書・仲虺之誥より)湯が桀を南巣に放ったことを恥じ、仲虺が「天が民を生み欲を与えたが主がなければ乱れる」として湯の徳を弁護し、諸悪を除く義戦であったことを説いたとする。
- (書・湯誥より)湯が亳に帰り万方に誥げ、上帝への畏れと自省の言葉を述べたとする。
制度の整備
- (史記より)湯が正朔・服色を改め白を尚んだとする。
- (管子・氾勝之書・説苑より)区田法による農業振興や、旱魃に際して自らを犠牲として雨を祈ったという故事(桑林の祈り)を伝える。
音楽・礼制
- (呂氏春秋・韓詩外伝より)伊尹に命じて「大濩」の楽を作らせ、その音楽が徳化に及ぼす効果を論じたとする。
伊尹の政治問答
- (説苑・新書より)湯が伊尹に賢者の選び方、三公九卿の職分、言葉を聞き入れる姿勢などを問い、伊尹が答えたやりとりを集成する。
桑穀の瑞祥
- (呂氏春秋より)湯の代に穀物が朝廷に生えるという怪異があったが、湯が善政に努めたため三日で消えたとする(編者は成湯・太戊いずれの代の話か史書間で異同があると注記)。
遠方諸侯の朝貢
- (周書より)湯が伊尹に命じ、四方の諸侯にその土地に応じた貢物を定めさせたとする(東夷・南蛮・西戎・北狄それぞれの貢物)。
詩に見える湯の徳
- (詩・商頌より)「那」「烈祖」の篇が成湯を祀る詩として湯の功徳を称えていることを引く。
編者按
- 天が民に君を立てて牧させるのは古今の理であり、堯舜の禅譲も夏后・殷湯の世襲・放伐もいずれも時勢に応じた聖人の興りであるとする。桀の暴虐が極まり、諸侯・民心が離れていた中で、湯はやむを得ず立ち上がったのであり、「慚徳」の語こそ湯が私心なく天下を取ったことの証だと論じる。伊尹が五たび桀に仕え五たび湯に帰したのは、桀の一度の悔悟を期して忠節を尽くしたためであり、桀が改めなかったためについに湯に従って討伐に加わったのだと弁護する。千金の陰謀等の説は信ずるに足らないとし、湯の武を「義師弔伐」の実として称える。