大唐西域記至那僕底國

  • 要旨: 至那僕底国(漢封の意)は迦膩色迦王の人質であった中国の王子が冬を過ごした地に由来する国名を持つと記す。

地理と国号の由来

  • 周囲二千余里、大都城は周囲十四、五里、気候は温暖で人々は気弱、正邪双方の教えを信じるとする。
  • 迦膩色迦王が河西の諸国から人質を受け入れた際、この地が人質の冬の滞在地であったことから「至那僕底」(漢封)と呼ばれるようになったとし、人質が持ち込んだ桃・梨がそれぞれ「至那你」(漢が持ってきたもの)「至那羅闍弗呾邏」(漢の王子)と呼ばれるようになったという由来を記す。
  • この国の人々は東方(中国)の人々を篤く敬い、「かつての我らが王はこの国の人であった」と語り伝えるとする。

暗林伽藍と迦多衍那論師の遺跡

  • 大城東南の荅秣蘇伐那僧伽藍(暗林)は僧徒三百余人が説一切有部を学ぶ地で、賢劫の千仏がここに集って説法するとの伝承があるとする。
  • 釈迦入滅後三百年、迦多衍那(迦旃延)論師がここで『発智論』を著したとする。
  • 伽藍には無憂王建立の仏塔や過去四仏の遺跡があり、周辺の山には無数の聖者の遺骨を納めた石室・仏塔が連なるとする。