大宋中興通俗演義第四十一回 岳飛、計を定め楊么を破る (岳飛定計破楊么)
黄佐の招降工作
- 黄佐は湖中に入り、岳飛の恩義を伝え、賊三万人余りを招降した。岳飛は投降者に銀絹を与え、湖中で功を立てさせ、来ない者は問わなかった。さらに数日後、二千人が来降し、同様に賞した。
- 枢密使張濬が潭州に来たとき、参政の席益は「岳飛は敵と戦わず、玩寇(わざと敵を放置する)の疑いがある。朝廷に奏上すべきでは」と進言したが、張濬は「岳飛は忠孝の人。用兵の機微は測れぬ、必ず成果を出す」と退けた。岳飛はこれを聞き「席益は書生に過ぎず、兵法の妙を知らぬ」と一笑に付した。
- 岳飛は黄佐に書を送り残党の招降を命じた。黄佐は部下の宋杰と謀り、東岸に頑強に立てこもる周倫の陣営を夜襲することにした。
周倫討伐
- 黄佐・宋杰は数千の精鋭で夜襲し、周倫陣を混乱に陥れた。周倫は湖口で黄佐に一刀のもとに斬られ、宋杰は賊将九人を討ち取り、船・武具を多数奪って陣を焼いた。
- 岳飛は大いに喜び、黄佐を武経大夫に昇進させ、諸将にも功に応じて賞を与えた。
王貴の失態と巻き返し
- 王燮配下の楊么の副将劉衡と交戦した王貴が敗れ、王燮の叱責を受けた。王貴は「宣撫(王燮)に勝つ術がないからだ」と反論。岳飛はこれを知り軍令違反として王貴を杖罰し、三日以内の敵撃破を厳命した。
- 岳飛は董先・王剛・楊再興・張用に伏兵を命じ、永安寨付近の林中に潜ませ、火攻めと弓弩で迎え撃つ計を授けた。
- 王貴が寨外で挑発すると、劉衡は出撃。王貴が偽って敗走し劉衡を伏兵の場所へ誘い込む。岳飛自ら出て劉衡の副将趙炳を斬り、伏兵の火矢・葦の炎で劉衡軍は大混乱に陥り、劉衡自身も乱箭に射殺された。残党は投降し、岳飛は望む者は軍に、望まぬ者は民として解放した。
張濬との計略協議
- 朝廷は張濬を金字牌で召還しようとした。岳飛は自作の攻略図を張濬に示し、湖賊平定への確信を語った。張濬は「険阻な湖に頼る楊么を攻めるのは容易でない」と懸念したが、岳飛は「王燮の水軍で水賊を攻めるのは難だが、自分は水賊をもって水賊を攻めるので易い。楊么の手足(配下)を切り離し孤立させれば、八日で賊酋を捕らえられる」と説いた。張濬はこれを了承し、朝廷に上表した(湖・湘の賊未平のため回朝を延期する旨)。
楊欽の投降
- 岳飛は鼎州へ進軍。楊么配下の楊欽が黄佐の説得で三千余人・戦船八百艘を率いて投降してきた。岳飛は自ら縄を解き厚遇し、朝廷下賜の甲冑・馬を与えて武義大夫に任じ、黄佐も武徳大夫に昇進させた。朝廷への上奏文でこの経緯と招降策の概要を報告した。
- 董先は楊欽を再び湖中に戻すことに反対したが、岳飛は忠義の人と信じ、招諭のため送り返した。楊欽は間もなく全琮・劉詵らを引き連れ再投降。だが岳飛は残る賊がまだ多いことを見抜き、あえて楊欽を叱責し杖罰した。
- 楊欽は憤慨し湖中へ戻ってしまった。岳飛はこれを見越し、張憲・岳雲・董先・王貴に戦船三百を分けて三路から進発させ、黄佐・全琮・劉詵を案内役として、楊么陣営の動きに応じて挟撃する構えを整えた。
評語
なし