大宋中興通俗演義第三十六回 宋の高宗、御駕にて親征する (宋高宗御駕親征)
岳飛の論功と辞退の上表
- 岳飛が入朝し、これまでの平賊の功を高宗に奏上。功を誇らず謙遜する態度に朝廷は一層敬重し、鎮南軍承宣使・神武副軍都統制・江南西路沿江制置使に任じ、子の岳雲も武顯大夫遙郡刺史に封じた。
- 高宗は自ら「精忠岳飛」の四字を書いた大紅旗を賜い、出兵の際に軍前に掲げて夷狄を威嚇し将士を励ますよう命じた。
- 岳飛は岳雲への封職辞退を二度上表するが許されず、さらに上表して固辞。虔州・吉州一帯の盗賊数百寨、彭友・陳顒ら十余万の賊徒を酷暑の中で討平した将士の功を述べ、朝廷に恩賞を求めた。
- 高宗はその忠義に感じ入り、岳雲の誥命を武翼郎に改め、白銀二千両を将士に賜った。
胡寅、和議に反対する
- 起居郎の胡寅は、朝廷が金への使者を繰り返し送り屈辱的な講和を求めていることに強く反対する上奏を行う。
- 建炎元年以来、卑辞厚礼で使者を送り続けても二帝の消息すら得られず、逆に辺境の防備が疎かになっていると指摘。金は宋が徽宗・欽宗の生死と后妃の辱めを気にかけていることを見抜いて和議を引き延ばし、宋から金帛を得ているに過ぎないと論じ、秦檜の講和策に従えば忠臣義士の志が失われると警告した。
- 高宗はこれを群臣の議に付したが、和議に傾く高宗の姿勢は変わらず、胡寅は外任を願い出て邵州知州に転じた。
金・齊の南侵計画
- 齊主劉豫は子の劉麟を金に遣わし出兵を求めるが、金太宗は四太子兀朮の「南方は湿地で軍が疲弊している」との進言により出兵を見送る。
- 劉豫は金の後ろ盾を得られず、岳飛の勢いを恐れて甥の劉猊を金に遣わし、水路から臨安を襲う策を献じて再度出兵を懇請。金太宗はこれを容れ、粘罕・撻懶を元帥として五万の兵を発し、兀朮に前哨七万を率いさせた。
- 兀朮は水戦を避け汴京経由での進軍を粘罕に進言し、これに従う。齊も劉麟・劉猊を左右副元帥として十万の兵を発し、金・齊の軍が分かれて南侵を開始した。
高宗の親征決断
- 沿江の守将からの急報に高宗は驚き、廷議では避難策も出るが、張濬・趙鼎は徹底抗戦を主張。趙鼎は涙ながらに忠臣の奮起を訴え、高宗を動かした。
- 高宗は自ら六師を率いて長江に臨み決戦する意を固め、趙鼎に専征の権を、張濬に樞密院事として江上の軍の整理を命じた。朝廷・臨安の民は皆この決断を喜んだ。