大宋中興通俗演義第三十五回 張浚、劾せられ嶺南に流される (張濬被劾謫嶺南)
仙人関の大勝
- 吳玠は自ら出撃して敵将大耳児を斬り、兀朮の本隊と激戦。王喜・王武の別働隊が敵陣を分断し、兀朮は苦戦して退く。
- 横山砦を守る張彦は駆けつけた韓常と交戦し、これを射殺。兀朮・撒離喝らは黄牛峡へ敗走するが、そこでも楊政の伏兵に阻まれ、劉長吉は崖から落ちて死亡。
- 河池でも洪威・王俊の伏兵に襲われ、撒離喝らはようやく和尚原を経て脱出した。吳玠軍は金の耳環をつけた兵五千余を討ち取り、番漢の降兵四万、糧草輜重三百車を得る大勝利を収めた。
吳玠の戦後処理
- 吳玠は勝利に驕らず警戒を怠らないよう諸将に説き、和尚原・横山砦・殺金坪にそれぞれ守備を配置し、自らは仙人関に長く駐屯する構えを取った。
- 劉豫の腹心である劉夔は、蜀攻略が困難と見て鳳翔に退き、屯田して長期滞在の構えに転じた。
張濬の失脚
- 張濬は吳玠の戦功を朝廷に上奏し、自身は兵権返上と後任選任を願い出た。朱勝非は張濬との旧怨から、その申し出を利用して張濬を朝廷に召還させ、王似を川陝宣撫使、吳玠を副使とした。
- 張濬は高宗に迎えられ慰労されたが、朱勝非の意を受けた台臣・常同や辛炳が、劉子羽の失態を隠蔽し喪師失地の責任があるとして弾劾。高宗はやむなく張濬を福州に左遷した。
趙鼎の登用と上疏
- 高宗は趙鼎を知枢密院事とし川陝・荊襄の統括を委ねた。趙鼎は治安策を上奏するが朱勝非に妨げられ実現せず、張濬の功績を評価しつつも讒言により排斥されたことを憂う上疏を行った。
金国の講和交渉
- 金は李永寿・王翊を使者として送り、長江を境に江南を宋、江北を斉(劉豫)とする和議を提案。高宗は議論を求め、群臣の中には和議を支持する声が多かった。
- 呂頤浩は北伐の好機を逃すべきでないと反対したが容れられず、辞職した。
岳飛による虔・吉二州の平定
- 虔州・吉州で賊首彭友・陳顒らが数万の勢力で四州四府を荒らし、紹興三年四月、高宗は岳飛に討伐を命じた。
- 岳飛は張憲に彭友と戦わせた後、自ら一騎討ちで彭友を生け捕りにし、楊再興が陳顒を斬るなどして二州の賊を平定。降卒のうち老弱は放免し、精壮は編入、金帛は将士に分配した。
- 岳飛は捷報を上奏し、高宗の召還命令を受けて子の岳雲とともに行在へ向かった。