大宋中興通俗演義第二十五回 韓世忠、鎮江で激戦する (韓世忠鎮江鏖兵)
龍虎大王の敗死
蘇勝・霍武が上流から五千の兵で龍虎大王を包囲し、金兵は混乱した。蘇勝は水練に長けた兵千人を船に潜らせて敵船を攻め、多数を溺死させた。龍虎大王は逃れようとしたところを蘇勝に捕らえられ、韓世忠に斬られた。兀朮は敗走し、平江へ逃げ込んだ。
講和の申し入れと決裂
平江で兵の半数を失った兀朮は、孛堇阿赤の献策により奪った金帛・子女を世忠に返還して道を借りようとした。世忠は「兀朮を討つ好機を金銭で手放すものか」と激怒してこれを拒絶し、降伏か決戦かのみを迫った。兀朮は闘志を奮い立たせ、翌日再び鎮江を攻めたが、世忠・蘇勝・霍武の挟撃と韓世忠の妻梁氏自ら太鼓を打って鼓舞したこともあり、金軍は各所で圧倒された。
黄天蕩への追い込み
兀朮軍は四方から攻められ多数の死者を出し、王鉄児・張丑漢とともに黄天蕩へ逃げ込んだ。四方を宋軍に囲まれ窮した兀朮は、地元民に道を尋ね、老鸛河の故道を掘削すれば秦淮に抜けられると知る。金兵は一夜で三十里の水路を掘り、兀朮はこれを通って建康方面へ脱出した。世忠はこれを知ったが「窮寇を追わず」として追撃せず、各所を封鎖するにとどめた。
牛頭山の夜襲
兀朮は建康へ向かう途上、岳飛配下の王貴・趙雲が牛頭山に伏兵していることを知らずに油断して宴を張った。夜半、王貴・趙雲の兵が金営に忍び込んで奇襲し、金兵は同士討ちで多くの死者を出した。夜明けには岳飛本隊が牛頭山から攻め込み、兀朮は自ら馬に乗って応戦したが岳飛に押され敗走した。孛堇阿赤も敗れ、逃走中に岳飛の長子・岳雲(当時十二歳)に阻まれた。金将の王鉄児が岳雲に挑んだが、岳雲は偽って敗走を装い誘い込んだ末に鉄槌で討ち取った。兀朮はさらに大敗し、山を越えて逃げた。岳飛は金の将兵百七十五級を討ち取り、四十五人を捕虜とし、多くの輜重を得た。
太一軍との合流と再度の敗北
兀朮軍がなおも渡江しようとしたところへ、金の撻懶が派遣した孛堇太一の一万の援軍が濰州から到着した。孛堇太一は淮西への迂回を勧めたが、兀朮は道が険しいとして反対し、再び渡江を試みることに決した。韓世忠はこれを見越し、蘇勝に鉄の綱と鉤を用意させて金の船を沈める策を授け、霍武には江北岸に伏兵させた。両軍は江中で激突し、蘇勝の鉄鉤が金船を捕らえて沈め、金兵は多数溺死した。兀朮は再び黄天蕩へ敗走し、以後出撃を控えるようになった。
兀朮の哀願と対立の継続
窮した兀朮は隔江から世忠に和議を求め、「両国は兄弟の誼を通じてきたのになぜ苦しめるのか」と訴えたが、世忠は「二聖を返し疆土を回復するのでなければ和解はあり得ない」と拒否した。孛堇太一もなお抗戦の構えを見せたが、世忠が弓を引いて威嚇すると兀朮は退いた。世忠の海船が風を受けて自在に往来するのを見て、兀朮は「南軍は船を馬のように使う、どうしようもない」と嘆じ、孛堇太一の勧めで宋の海船を破る術を持つ者を高額で募ることにした。