大宋中興通俗演義第二十六回 岳統制、楚州の囲みを解く (岳統制楚州解圍)

兀朮の火攻めと韓世忠の敗走

  • 兀朮は重金を出し、宋の海船を破る策を持つ者を募った。閩出身のある人物が現れ、船に土を積んで安定させ、無風時にのみ出撃し、火箭で箬篷(竹製の帆覆い)を焼く策を献じた。
  • 兀朮は喜んでこれを採用し、戦船を改造、火箭や乾いた可燃物を準備させた。
  • 無風の日、兀朮は小舟で軍を三隊に分け出撃。韓世忠は迎撃したが、海船は無風で動けず傾いた。金軍の火箭で船が炎上し、宋軍は大敗、多数が溺死した。副将蘇勝は矢を受けて落命寸前となり、霍武の奮戦で世忠は辛くも鎮江へ逃れた。
  • 世忠はわずか八千で兀朮の十万を四十八日阻んだが、ついに敗れた。ただしこの後、金は再び長江を渡ることを恐れるようになった。

評語

後人の詩は、この戦いの激しさと、閩人の策が識破されたことへの惜しみを詠んだもの。

岳飛、建康を回復す

  • 兀朮は建康を略奪・放火し、渡河して逃走。岳飛はこれを追撃して大破し、建康を回復・安撫した。
  • 岳飛は五嶽廟に「盟記」を題し、国難への憤りと再戦を期す決意、二聖(徽宗・欽宗)の帰還と旧領回復を誓う文を残した。
  • 岳飛は虜将ら五十余名を捕らえて朝廷へ送り、表を奉って建康の要害たる重要性を説き、江東・江西の防備より淮の守りに兵を割くよう願い出た。
  • 高宗はこれを嘉納。あわせて金にいる二帝の消息(五国城よりさらに東北千里の鶻裡改路へ移されたとの伝聞)を聞き、悲嘆した。岳飛には鎧・金帯・錦袍が下賜され、叛将戚方討伐の詔も下った。

戚方討伐

  • 岳飛は三千の兵で広德へ進軍。賊将戚方は官橋を守らせ阻もうとしたが、岳飛は矢文を橋柱に射て引き返し、戚方を動揺させた。
  • 岳飛は傅廣に追撃させたが苦戦、自ら精兵一万を率いて出撃すると戚方は敗走。折しも招討使張俊と合流し、戚方は張俊に投降を乞うた。
  • 張俊は岳飛に取り成そうとしたが、岳飛は戚方がかつて広德の戦いで自分を暗箭で狙った不忠を挙げ、斬るよう強く求めた。張俊もこれを認め、戚方は処刑された。岳飛は諸将に戚方を戒めとするよう訓示した。
  • そこへ金軍が楚州を包囲したとの報が入り、高宗は岳飛に楚州救援の詔を下した。岳飛は張俊と別れ、出発した。