大宋中興通俗演義第十三回 宗沢、張所と出兵を約す (宗澤約張所出兵)

傅亮渡河問題と李綱の失脚

  • 傅亮は「軍がまだ整わぬうちに渡河すれば孤軍となり危うい」と上奏。李綱もこれに同調し、時機を待つべきと主張したが、黄潜善・汪伯彦は傅亮を臆病者と非難し、渡河を急がせるべきと高宗に迫った。
  • 李綱は、汪・黄がかつて張所の招撫を妨げ、今また傅亮を妨げようとしているのは、自分が推挙した二人を通じて自分を追い落とそうとする策略だと見抜き、韓信を用いた高祖の故事を引いて傅亮の登用継続を訴えた。
  • 高宗は表面上李綱をなだめるが、結局黄潜善・汪伯彦の讒言により李綱は丞相の職を罷免され、洞霄宮提挙に左遷された。
  • 陳東が李綱の留任と汪・黄の罷免、還京親征を求める上書をしたところ、汪・黄の怒りを買い、陳東は市曹で斬首された。
  • 以後、李綱を弁護する者はいなくなり、高宗は東南へ遷幸。李綱の施策はことごとく廃され、金軍はますます勢いを増し、各地で盗賊が蜂起した。

岳飛、衛州で金兵を破る

  • 宗沢は李綱の失脚と車駕東幸を嘆きつつ、金軍が新郷に迫っているとの報を受け、張所に迎撃を命じる文書を送った。
  • 王彦・岳飛は衛州新鄉県の石門山に布陣したが、王彦は金軍の勢いを恐れて出撃を渋る。岳飛は強く出撃を促すが容れられず、独断で一千余の兵を率いて偵察に出る。
  • 岳飛は寡兵で金の大軍に突入し、敵将訛裡完を打ち倒して旗を奪い、味方を鼓舞して大勝。万戸王崇・千戸阿里孛を生け捕り、多数を斬獲・降伏させた。
  • 翌日も再度の金軍来襲を退け、夜襲を受けた際も動じずに構えたことで敵は疑って退いた(「岳家軍は動かし難し」と評された)。

兵糧をめぐる対立

  • 岳飛軍は兵糧が尽き、王彦に補給を求めたが拒まれる。岳飛は将士に「金軍から糧秣を奪い取ろう」と諮り、皆これに賛同した。