大宋中興通俗演義第九回 李綱、建国の策を奏上する (李綱奏陳開國計)

即位と大赦の詔

  • 高宗は南京で即位し建炎と改元、大赦天下を布告。蔡京・童貫・王黼ら誤国の臣とその子孫の赦免を禁じる一方、民の常平銭・青苗銭の負担を軽減し、州県の過剰徴収を戒める詔を発した。
  • 元祐皇后を元祐太后と尊び、蔡確・蔡卞・邢恕らを処罰。耿南仲は誤導の罪で南雄州に流し、李邦彦ら主和派も嶺南に竄られた。張邦昌は太保・同安郡王とされたが五日に一度の参内にとどめられた。李綱を尚書右僕射に召す。

李綱の登用と抱負

  • かつて讒言により貶謫されていた李綱は召還され宰相に固辞するも許されず就任。高宗に上疏し、英断と明察をもって君子を用い小人を退けるべきと説き、高宗はこれを深く納得した。
  • 高宗が「六軍を挙げ胡虜を掃討し二聖を迎え還したい」と問うと、李綱は「まず即位を天下に知らしめ、政事を整えてから大挙すべき」と諭し、高宗は大いに喜んだ。

張所の河北募兵

  • 監察御史・張所が河北で募兵し十七万人を得たと報告。高宗は喜び、張所は河北・河東を国家の根本と説き、京師に都を置く五つの利点を挙げるが、黄潜善らの反対により重用は果たされなかった。

李綱、張邦昌の罪を弾劾

  • 李綱は内殿で高宗に涙ながらに金の欺瞞と張邦昌の僭位の経緯を訴え、中興の大業を成すには陛下と宰相の力が要ると説く。高宗は李綱への深い信頼を語り、慰留した。
  • 李綱は「宰相の人選こそ国家の要」と論じ、自らの浅学を理由に辞退を願うが、高宗は決意を変えず慰留。李綱は管仲の言(人を知り用い任せ信じることの大切さ)を引きつつ、十事を上奏したいと願い出て許された。

十事の上奏

  • 李綱は「国是・巡幸・赦令・僭逆・偽命・戦・守・本政・久任・修徳」の十事を奏上した。要旨は、まず守りを固めて政事を整えてから戦を議すべきこと、京師巡幸の地は長安・襄陽・建康の順に備えるべきこと、張邦昌偽赦の内容は正すべきこと、張邦昌の僭逆は厳罰に処すべきこと、偽命に屈した者は等級を分けて処分すべきこと、軍規を一新し信賞必罰を徹底すべきこと、沿河江淮の防備を固めるべきこと、政令は中書に一元化すべきこと、大臣は軽々に進退させず久任すべきこと、そして天子自ら徳を修めるべきことであった。
  • 高宗は五事(国是・巡幸・赦令・戦・守)を実行に移すよう命じ、残りは留め置いた。

張邦昌への処断

  • 李綱はなおも張邦昌の僭逆の罪を追及。金退去後も勤王の軍を偽詔で止め、空名の告身を配って自派を広げようとした経緯を挙げ、「人臣に将(僭越の兆し)あれば必ず誅すべし」という『春秋』の義に照らして厳罰を主張した。呂好問は寛大な処遇を勧めるが、李綱は「邦昌を朝廷に留めれば天下の物笑いになる」と強く反対し、自らの進退を賭して訴えた。
  • 高宗はついに張邦昌を潭州に流し、王時雍・呉開・莫儔・李覿ら偽命に与した者も遠方へ貶し、後に賜死とした。忠節を尽くした劉韐・李若水らには官を追贈し、諸路に死節の臣を訪ねるよう命じた。

御営使への任命と国家経営の構想

  • 李綱は劉韐・李若水・霍安国ら死節の臣への追贈を願い出て許され、御営使を兼任することとなった。高宗の問いに答え、内外の政治・軍事・財政にわたる包括的な統治構想(規模)を説き、当面の急務は河北・河東の失地に散在する義民勢力を招撫使・経制使を置いて糾合することだと提言。張所を河北路招撫使、傅亮を河東路招撫使に任じた。

宗沢の上疏と東京留守就任

  • 宗沢は襄陽から、金との割地交渉に反対する上疏を高宗に送り、即位から四十日を経ても大号令が出ていないことを憂えた。高宗は李綱に宗沢の人物を問い、李綱は「澤ならでは京師の鎮撫は成らない」と推薦。高宗は宗沢を東京留守知開封府事に任じた。
  • 宗沢は着任すると荒廃した東京の治安回復に努め、盗賊への軍法適用を布告し、楼櫓の修築や防備を進めた。

賊将王善への懐柔

  • 七十万の衆を擁する巨盗・王善が東京近郊を脅かす中、宗沢は武力討伐でなく徳による懐柔を選び、従官の反対を退けて単騎で王善の陣営へ乗り込んだ。