大宋中興通俗演義第六回 宋の康王、泥馬に乗り江を渡る (宋康王泥馬渡江)
金軍再南侵と康王の逡巡
- 靖康三年、金は徽宗・欽宗を五国城に幽閉したまま、四太子斡離不に再度の南侵を命じた。斡離不は十万の兵を発し太原から進軍、真定に至ると康王に「議和のため軍中に来い、さもなくば汴京まで攻め入る」と書を送った。
- 康王は汪伯彦・黄潜善らに促され都堂で群臣と議す。王雲は康王自ら金営に赴き議和すべきと説くが、康王は「父兄の恨みを思えば再び金営に赴くことはできぬ」と難色を示す。しかし王雲らに押し切られる形で出立を決める。
王雲の誅殺と宗沢の諫言
- 出立の途上、相州で宗沢が康王を出迎え、同行者が王雲と知ると「王雲は婦人同然、大臣の礼を知らぬ」と激しく弾劾。従軍の兵はその場で王雲を斬った。
- 宗沢は康王に北行を思いとどまるよう強く諫め、康王もこれに従い、密かに帰還を図ることにした。
(詩:康王が北行をためらわず果断であればという嘆き)
泥馬渡江
- 康王は単騎で相州を脱し、京師で元祐皇后に拝謁し復興を図ろうとするが、金の追撃を受ける。磁州の崔府君廟で仮眠していると、夢の中で追手が迫る気配を感じ、人に起こされて馬に乗り、その馬で夾江を一気に渡り切った。夜が明けると、その馬は廟にあった泥塑の馬であったと判明し、崔府君の神助と知れた。
(詩:泥馬渡江の奇瑞を詠んだ古風の詩)
老嫗の助け
- 康王は空腹のため一軒の農家に立ち寄る。老嫗は康王の正体を見抜きつつも追手を欺いて追い返し、路銀まで与えた。老嫗は自らの子が李若水という忠臣で、徽宗に従って北狩の途上で亡くなったことを語り、涙を流した。康王は感謝し、宗沢の守る磁州へ向かう。
大元帥府の開設
- 一方、元祐皇后は長く政務に関わらずにいたが、張邦昌の僭位を経て垂簾聴政の議が進む。金への割地交渉に派遣された聶昌・耿南仲はそれぞれ殺害・逃亡の憂き目に遭い、耿南仲は相州の康王のもとへ逃げ込んだ。
- ある夜、康王は皇兄から御袍を賜る夢を見、周囲は帝位に就く吉兆と評した。まもなく京師より使者が至り、康王を天下兵馬大元帥、汪伯彦・宗沢を左右副元帥とする蝋詔が届く。康王は号泣して拝受し、相州に大元帥府を開いて兵を募った。数日で四方の豪傑が集まり一万余に達し、五軍に分けて屯営させた。