陳書卷三十三 列傳第二十七 顧越

出自と経歴

  • 顧越は字を思南といい、呉郡塩官の人。居所の新坡黄岡には代々郷校があり、顧氏には儒学者が多かった。越は若くして孤児となり苦労して自立し、聡慧で弁が立ち、『毛氏詩』を説き傍ら異義にも通じた。梁の太子詹事周捨に高く評価され、揚州議曹史・兼太子左率丞を出仕の初めとした。義理に精明で持論に優れ、会稽の賀文発とともに梁の南平王偉に重用されて賓客に招かれ、まもなく五経博士を補せられた。紹泰元年(555年)に国子博士に遷った。世祖即位後、始興王咨議参軍に除せられ東宮の侍読を務めた。世祖は越の老齢を篤く遇し、給事黄門侍郎に除しさらに国子博士侍読を領させた。廃帝の代には通直散騎常侍・中書舎人を除せられた。
  • 華皎の反乱の際、越は東陽におり、ある者が高宗に彼が異心を持つと讒言したため詔して獄に下され、それにより免官された。太建元年(569年)に自宅で卒した。時に年七十八。
  • 附:当時、東陽の龔孟舒も『毛氏詩』を治め、名理を語るのに優れ、梁武帝の世に尋陽郡丞に至った。元帝が江州にあったとき彼を深く重んじ、自ら師事した。承聖中に中書舎人を兼ね、天嘉初め員外散騎常侍・兼国子助教・太中大夫を除せられ、太建中に卒した。