陳書卷二十一 列傳第十五 謝嘏

謝嘏

  • 謝嘏、字は含茂。陳郡夏陽の人。祖父の謝瀹は斉の金紫光禄大夫、父の謝挙は梁の中衛将軍・開府儀同三司。嘏は容姿風格が清雅で文才に優れた。梁の秘書郎から起家し、太子中庶子として東宮の管記を掌り、建安太守として出た。
  • 侯景の乱で広州へ蕭勃を頼った。承聖年間、元帝は五兵尚書に徴したが道の険阻を理由に辞し、智武将軍に転じられた。蕭勃は鎮南長史・南海太守に任じたが、勃が敗れ臨川に還る途中、周迪に留められ、のち嶺を越え晋安に至り陳宝応を頼った。世祖はたびたび召したが、嘏は寇賊の中にあり自ら脱することができなかった。宝応平定後、朝廷に赴いたが御史中丞の江徳藻に弾劾され、世祖は罪を問わず給事黄門侍郎とし、のち侍中に転じた。
  • 天康元年、公事で免ぜられたがまもなく本職に復し、光大元年、信威将軍・中衛始興王長史となり、中書令・豫州大中正・都官尚書・羽林監領・中正はそのままとした。太建元年に没した。侍中・中書令を贈られ、諡は光。文集が世に行われた。二子の謝儼・謝伸のうち、儼は散騎常侍・侍中・御史中丞・太常卿を歴任し東揚州監として出、禎明二年会稽で没し中護軍を贈られた。