梁代の官歴
- 王沖、字は長深。琅邪臨沂の人。祖の王僧衍は齊侍中、父の王茂璋は梁給事黄門侍郎。沖の母は梁武帝の妹新安穆公主で齊代に卒し、武帝は沖の孤を憐れみ深く鍾愛した。十八歳で梁秘書郎として出仕、永嘉太守、太子舎人。父の喪に服し太尉臨川王府外兵參軍・東宮領直を経て太子洗馬・中舎人に累遷。招逺將軍・衡陽内史、武威將軍・安成嗣王長史・長沙内史(王薨後、沖に湘州事を監させる)。太子庶子・給事黄門侍郎を経て大同三年、帝甥として安東亭侯(邑一百五十戸)。明威將軍・南郡太守・太子中庶子・侍中、呉郡監に出て一年で真授、通直散騎常侍・兼左民尚書、明威將軍・輕車當陽公府長史・江夏太守・行郢州事、平西邵陵王長史から驃騎廬陵王長史・南郡太守(王薨後、行州府事)、梁元帝の荆州鎮では鎮西長史。沖は和順謹粛で政は平理に在り、藩を佐け人に莅んで失徳少なく、赫赫たる誉れはなくとも久しく思われ、二千石を重ねて歴任、音楽に通じ歌舞を習い人と交わりに善く貴游の中で名声高かった。
侯景の乱以降の官歴と栄達
- 侯景の乱で梁元帝が荆州で承制すると沖は南郡を解き王僧辯に譲り、女伎十人を献じ軍賞を助けた。元帝は持節督衡桂成合四州諸軍事・雲麾將軍・衡州刺史を授け、元帝の第四子蕭元良が湘州刺史となると沖に州事を行わせ長沙内史を領させた。侯景平定後、翊左將軍・丹陽尹。武陵王の挙兵に際し王琳の偏将陸納らが湘州に拠り応じ、沖は納に拘留されたが納の降服後、侍中・中權將軍・佐史量置、尹如故。江陵陥落後、敬帝が太宰承制で沖を左長史とし、紹泰中、左光祿大夫・尚書右僕射に累遷、左僕射・開府儀同三司・侍中將軍如故に遷り丹陽尹・南徐州大中正を復領・給扶。
- 高祖受禪後、尹を解き本官のまま左光祿大夫を領し拝命前に太子少傅に改領。文帝嗣位後、少傅を解き特進・左光祿大夫加増、まもなく本官のまま丹陽尹を領し律令の参撰にあたる。廢帝即位後、親信十人を給される。高祖は沖を前代の旧臣として長幼の敬を特に示し、文帝はより一層尊重、司空徐度の宅への宴で几を賜るなど重んじられた。光大元年、薨。時に年七十六。侍中・司空を贈られ諡は元簡。沖には子三十人あり皆通官に至り、第十二子の王瑒には別伝がある。