陳書卷十六 列傳第十 謝岐

地方統治の功と早世

  • 謝岐、會稽山陰の人。父の謝達は梁太學博士。岐は少くして機警好学、梁世に尚書金部郎・山陰令として称された。侯景の乱で東陽に流寓、景平定後は張彪に依り呉郡・會稽の庶事を委ねられ、彪の征討には常に岐が留まり監郡・後事を知った。彪敗死後、高祖は岐を機密に参画させ兼尚書右丞。軍旅頻発で糧儲が多く欠ける中、岐の幹理は厚く知遇された。永定元年、給事黄門侍郎・中書舎人・兼右丞如故。天嘉二年、卒。通直散騎常侍を贈られた。岐の弟の謝嶠は篤学で世の通儒となった。

史論

  • 史臣曰く、高祖は基を開き業を創め禍乱を克定したが、武猛の功に加え文幹もまた力を尽くした。趙知禮・蔡景歴は早くから帰趨を識り締構に預かった臣であり、劉師知は博渉多通でありながら機変に暗く節義を存そうとしながら極刑に陥ったのは不智であった、とする。